<全国高校野球選手権:横浜4-2三重>◇9日◇1回戦

横浜の伝令役、金野佑楽選手(3年)がマウンドに走った。三重戦の6回2死二塁。先発した杉山遥希投手(2年)が2番打者を三振に仕留めた直後だった。「必ずあと2回ピンチがくる。1つ目のピンチだ。そのピンチを乗り越えた先に勝利が舞い込んでくる」。村田浩明監督(36)のこんなゲキを伝えたが、次打者に中前打された。1点差に詰め寄られた。伝令は難しい。

守備側の伝令は、ポジションの確認、間を取るなどが役割といわれる。珍妙な伝令が登場したのは12年夏、愛工大名電と対戦した浦添商だった。4回2死一、三塁で阿嘉将吾外野手がマウンドに向かった。一塁のラインを越えるとスッテンコロリンとひっくり返った。球場がどよめいた。立ち上がると今度は両手を上げ、体操競技の着地のようなポーズをとった。

宮良高雅監督(当時43歳)の指示は「落ち着いていけ」だけだった。阿嘉は「どうすれば盛り上がるか。全力でこけました」。せっかくのアイデアも、内野陣の反応は冷たかった。「お前、大丈夫? 恥ずかしい」。笑顔は出たが、大槻球審から「こういう場所だからあまりやらないように」と注意を受け、宮良監督には「盛り上がるのはいいけど、場所を考えろ」と言われた。揚げ句に、内野安打が出て、2点を失った。ベンチに戻った阿嘉は「1人で気まずくなっていました」。チームが勝利を収めたことで救われた。

高校野球では監督がグラウンドに出ることが許されない。夏の大会が始まった当初はベンチ入りすることが認められず、スタンドに陣取って指示を出していたといわれる。その指示を聞こうと選手が駆け寄り、試合が再三中断したらしい。13回大会(1927年)になって「スタンドコーチ」のベンチ入りが許可された歴史がある。

現在の規定では、伝令は1試合(9回)につき3回まで。タイムが宣言されてから30秒以内とされる。横浜ベンチは9回、2死二塁の場面で2度目の伝令を送った。ここでも直後に二塁打を許して1点を失った。それでも後続は断ち、2点差で逃げ切った。

試合後の村田監督は「三重の打者は後半、打てるボールをミートしてきた。杉山は力みがあったが、よく踏ん張った。玉城(陽希捕手=3年)もいい配球をして対応してくれた」。ピンチに耐えた選手たちをたたえた。【米谷輝昭】

三重対横浜 3回裏、ベンチで選手に指示を出す横浜・村田監督(撮影・江口和貴)
三重対横浜 3回裏、ベンチで選手に指示を出す横浜・村田監督(撮影・江口和貴)