「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」。第3回はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。

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メジャーリーガー新庄は日本人初のサヨナラ打、初の4番、初の満塁弾を放つなど、絶対に大リーグで通用しないという大半の見方を覆した。日本人野手初の本塁打は同じ01年に移籍したイチローに先を越されたが、19打席目での1発は最速だった。

阪神時代はほとんど取材に応じなかったが、連日インタビューの囲みに応える変心ぶりを見せた。

新庄 実力でイチロー君に勝てるわけはないと思った。守備以外はね。おれが毎日話して、日本のプロ野球ニュースに出てたんでしょ。記憶に残るじゃないですか。イチロー君はしなかった。これは負けてられないと、日本人初を全部狙った。よしっ、おれが初や、初やと思っていたら、イチロー君は日本人初のMVP…、すげぇ。全部持っていかれた、全部負けた(笑い)。

厳しいニューヨークのメディアには「リトルリーグ並みのパワー」とも報じられた。そのうち“新庄ワールド”は理解を得るようになった。「あまり考えずに打つタイプか?」と問われたときのリアクションは「その通り!」。一同爆笑。愛すべきキャラクターだった。

新庄 ニューヨークの街でもサインを求められるようになりました。五番街のブランドショップ、ドルチェ&ガッバーナに入ったら「お支払いは不要です。私たちからあなたにプレゼントです」という。外に出たらパトカーがいて「家まで送ります」ですから、驚いた。これがスターだと思いました。

01年9月11日のアメリカ中枢同時テロ事件にも遭遇。そのオフ、ジャイアンツにトレード移籍した。02年はスーパースターのバリー・ボンズともプレーし、ナ・リーグ優勝、日本人初のワールドシリーズにも出場する。翌03年は古巣メッツに戻ったが、最終的にはマイナー落ちを通告され、3Aノーフォーク行きになった。

新庄 アメリカはわかりやすい国でした。開幕したときはトレーナーが「アイシングの氷はいくつ欲しい?」と気を使ってくれたけど、打てなくなるとロッカーに無言で置いてあった。マイナーではメジャー昇格を夢見る若手が目をぎらつかせる姿に感動した。決心がつきました。

新庄は公言した通り、3年でメジャー生活に別れを告げる。

新庄 日本のプロ野球を盛り上げる仕込みかな。言ってたじゃん、おれ3年で帰ってくるって…イチロー君みたいに、ずっとやる気持ちも、自信もなかった。守備以外は。

日本に電撃復帰した先は、札幌を本拠にすることになった日本ハムだ。切れ込みのアンダーシャツ、襟付きスパイク、ツバの長い帽子、足を長く見せるパジャマのようなズボンでもプレーした。

新庄 野球はジェントルマン(紳士)のスポーツだから、ゴルフも、イタリア料理にいくのも、「襟付き」でしょ。ファンが少ないパ・リーグを盛り上げるのに、毎年球団を移籍して変わろうと考えた。おれの力で日本ハムが優勝したら、どれだけかっこいいだろうと思ったんです。(敬称略=つづく)【編集委員・寺尾博和】

自分自身の人生を爆笑トークで沸かせる新庄氏(撮影・浅見桂子)
自分自身の人生を爆笑トークで沸かせる新庄氏(撮影・浅見桂子)