2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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2004年(平16)6月30日。ライブドア社長の堀江貴文が、近鉄の球団買収に乗り出すことを表明した。すでに近鉄とオリックスの合併交渉は基本合意に達していた。

当時、近鉄の親会社で近畿日本鉄道社長の山口昌紀(故人)は「ライブドアと接触するつもりはない」と反発し、オリックスとの具体的交渉に入っていく。

同年1月31日、近鉄が球団名の命名権(ネーミングライツ)を売り出すことを発表した。チーム名「近鉄」を外し、外資も含めた別会社に、年間約36億円(5年契約のインセンティブ)で売却する改革に乗り出そうとしたのだ。

球団取締役代表だった足高圭亮(奈良国際ゴルフ倶楽部支配人)は、翌日から春季キャンプをスタートさせるため、監督の梨田昌孝らスタッフと宮崎県日向市入りしていた。岩隈久志は「近鉄がなくなるのは寂しい」。中村紀洋は「野球に集中するだけ」と敏感に反応した。

足高 キャンプイン前日で、チームに動揺を与えないように配慮したのを覚えています。確かに近鉄グループは全体的に苦しい時期でした。最初は「近鉄」という看板を外すという発想はなかったが、本拠地も変わらず、球団経営も引き続き近鉄がやるという説明だったので、まさか後にオリックスとの合併にかじを切るとは思いも寄らなかった。

近鉄球団の03年の収支は、入場料売り上げ、放送権料など、約35億円の収入があった。選手年俸など人件費が23億円、大阪ドーム使用料など支出の差はマイナス約50億円。本社からの広告宣伝費10億円の補填(ほてん)を差し引いても、最終的な事業収支は40億円の赤字に陥っていた。

近鉄は、命名権を売却し、本拠地を変更せず、球団を運営していく方針を示した。しかし、その改革案に球界内から「待った」がかかったのだ。

巨人オーナー渡辺恒雄が、球団呼称、専用球場の変更は、オーナー会議の承認を必要とする野球協約の条項を理由に「違反行為」として阻止を表明。阪神久万俊二郎、中日白井文吾らオーナー陣が反対の意向を示すと、近鉄は命名権の売却案を白紙撤回した。

足高 近鉄は複数球団から反対されて身動きがとれなくなった。そのとき、懇意にしていた当時阪神SD(オーナー付シニアディレクター)星野仙一さんから「なんか変な動きをしてるぞ」と電話があったんです。どこからの情報かは聞かなかったが、球団が消えるかもしれないと…。それがオリックスとの合併でした。あの年の球界再編を振り返ってみると、近鉄という会社は、いったい何がしたかったのか。わたしには理解することができない。(敬称略=つづく)【寺尾博和】

04年7月1日付日刊スポーツ1面
04年7月1日付日刊スポーツ1面