2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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朝からの雨がやんで、午後の東京の空は雲に覆われていた。2004年(平16)7月26日。JR品川駅にほど近い新高輪プリンスホテルで、12球団の代表者、理事が集まるプロ野球実行委員会が開かれた。

議題は「10球団1リーグになった際の収入確保について」。1リーグになれば、オールスターや日本シリーズがなくなり、プロ野球機構は大きな収入源を失う。新たな収入を得るための案を、各球団持ち寄って議論する。

午後1時から始まった会議で、ダイエーが口火を切る。「10球団、16回戦総当たりで前後期制とし、前後期優勝球団を除く勝率上位2球団とプレーオフ。この勝者による日本シリーズを開催する」。西武が続けて「10球団を2地区に分け、両地区1、2位球団がプレーオフ。勝者による日本シリーズ」。東西対抗はどうか、アジアシリーズを開催しよう。1リーグを前提にさまざまなアイデアが披露される中、阪神が「日本シリーズ、オールスターに代わる収入はあり得ない」として「来季は2リーグ維持。再編問題は1年かけて慎重に議論したい」と、流れを止めにかかった。

ここで再び巨人が、阪神を挑発するように発言する。

「それはあなたの案か、球団としての案か」

「球団を代表しての提案だ」とはねつけたが、阪神には一枚岩と言い切れない事情もあった。ある球界関係者は、巨人オーナーの渡辺恒雄が「久万さんは人物だよ」と、5歳上で東大の同窓である阪神オーナーの久万俊二郎に一目置き、かつ親密さを強調するような発言を聞いている。週刊誌は盛んに「渡辺と久万は、水面下で手を握っている」と書き立てている。しかも、1リーグを容認するような久万の発言が、メディアをにぎわせていた。巨人は、阪神が表では「2リーグ維持」をどれだけ訴えても、最後は巨人についてくる、と見透かしているようだ。

本音は「1リーグ反対」のセ4球団は、「阪神案も議論のテーブルに載せてほしい」(ヤクルト)などと遠回しに阪神支持を打ち出したものの、はっきり「反対」を声にする者はなかった。最後にパ・リーグ会長の小池唯夫が、阪神の案を「唐突だが、無視はできない」、セ・リーグ会長の豊蔵一は「1リーグの必要性、方向など問題点を審議する。次に阪神の提案を議論する」と引き取って、かろうじて「2リーグ維持」の可能性は残った。会議の終了は午後7時10分。およそ6時間に及んだ。

だが、セ4球団の「2リーグ維持」の微温的な結びつきは、9月3日、毎日新聞の報道によって崩壊する。巨人の前オーナー渡辺(8月13日、新人選手獲得を巡る裏金問題でオーナー辞任)が、巨人がパに移籍し、5球団ずつの2リーグとする構想を明らかにしたのだ。巨人のパ移籍は、球界内でひそかにささやかれてきたが、トップによる発言の意味は重い。セ5球団は「巨人戦」の利害1点で「2リーグ維持」の団結を保ってきた。だが、巨人を失えば、今度は2リーグが経営の足かせになる。そこまで読んだ発言だったのか。この一手が決定打となり、阪神の抵抗は、息の根を止められた。

「どないすんねん…」。その日、渡辺の「パ移籍」発言を聞いた久万のがくぜんとした姿を、当時阪神の球団社長だった野崎勝義は今も覚えている。(敬称略=つづく)【秋山惣一郎】