平成は甚大な自然災害が続いた時代でもあった。東日本大震災から8年を迎えるにあたり「災害と野球」を取り上げる。第1回は、昨年9月に北海道胆振東部地震に見舞われた北海道を本拠地とする日本ハム。北広島市に建設予定の新球場には、防災拠点としての強い思いが込められている。

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2月中旬、日本ハムの新球場建設予定地を訪れた。JR北広島駅から1キロあまり、自然公園である「きたひろしま総合運動公園」。一面に林が広がり、人影はない。横殴りの雪の中、巨大な看板が出迎えてくれた。

「2023 PLAY BALL 世界がまだ見ぬボールパークをつくろう」

4年後、ここに、かつてない球場が生まれる。日本ハム事業統轄本部長で、新球場の実務責任者である前沢賢(44)は「イベント開催時だけでなく、非開催時にも地域に役立てる施設になりたい」と熱っぽく口を開いた。

新球場が画期的なのは、地域の防災拠点を目指している点だ。天然芝球場としては日本初となる開閉式屋根をつける。

「屋根を閉めれば約1万人の方が球場の中で過ごせるわけです。当然、水の備蓄や電気の余力はずっとは続かないですが、向こう3日間か1週間か、どのくらいの備蓄をすればいいのか、今まさにやっています」

避難場所としての機能を備えつける。水や食料の備蓄はもちろん、自家発電による電力提供も目指す。

「自家発電ができないと周りの方々に迷惑をかけてしまう。建物の耐震性も、ある程度ないといけない。国が指定する防災拠点に資する施設レベルを超えることを前提にやっています」

単なるエンターテインメント施設としないのは、じくじたる思いがあったからだ。地震や大雨など自然災害が多い北の大地。その都度、日本ハムの選手たちは募金を呼び掛けるなどしてきたが…。

「地域貢献を掲げているにもかかわらず、災害時は結局、そういう活動ぐらいしかできないのが、いたたまれない。皆さんの生活に入り込んで、お役に立てればと思っていました」

思いは、昨年9月の北海道胆振東部地震で強まった。札幌ドームに隣接する球団事務所は数日間、電気が復旧せず、前沢たち球団職員は市内ホテルでの業務を余儀なくされた。

「すごく違和感がありました。ドームという立派な施設が、ただの箱になっている。(避難場所として)想定されていれば、何千人にも対応できたはず。近くの体育館より、ドームに泊まった方が、子どもたちも喜んだと思うんです」

既に防災拠点としての新球場計画を進めていたが、考えに間違いがないと確信した。「万が一の時に役に立てる施設にするのは大前提だ」と。地理的なメリットもある。新球場は札幌市と新千歳空港の中間に位置するため、空港に届いた物資を運ぶ中継拠点になり得る。広大な敷地はヘリポートとしても利用可能だ。国土交通省と連携協定を結び、建設業者とは、非常時にマンホールを活用するトイレなどインフラ整備について協議を重ねている。

東京出身の前沢だが、北海道への愛情は深い。

「北海道みたいな土地に住んでいると地域愛も強くなってきます。防災拠点に反対する人はいなかった。いざとなったら、試合もやらずに提供するということですが、チームからも何の反論もありませんでした」

グラウンドは左右非対称で、中堅後方の壁は巨大なガラス張り。天然温泉に入りながら観戦できる席も計画されている。平成の次の時代にできる最初のプロ野球の球場は「楽しい」と「安全」を追求する。新時代のボールパークを造る。(敬称略)【古川真弥】

日本ハムが建設を計画している新球場の建設予定地には、巨大な看板が立てられている
日本ハムが建設を計画している新球場の建設予定地には、巨大な看板が立てられている