全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える18年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。新年からは名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫るシリーズ2「監督」がスタートします。

 新シリーズ第1弾は、箕島(和歌山)を率いた尾藤公さんです。多くの名勝負、名シーンを演じてきた尾藤さんの物語を、全5回でお送りします。


 1月1日から6日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。



 事の重大さに気付くのが、私は相当に遅い。球史に残る場面に居合わせても、そのことを実感するのはかなりあとになる。7年前もそうだった。10年9月23日、甲子園で行われた箕島(和歌山)-星稜(石川)の再々々試合。この一戦の“奇跡”に気付いたのも、箕島・尾藤公元監督(故人)を追った連載を取材し、書き進める過程だった。

 野球記者なら7年前に気付いて当然の事実。9月23日はプロ野球の公式戦の真っ最中。その日、阪神の試合がなかったにせよ、シーズン終盤の大事な時期に公式戦でもない試合をなぜ入れ込むことができたのか? 

 「揚塩さんの尽力があればこそですよ」

 故尾藤元監督の公私のパートナーだった田井伸幸元野球部長や日本高野連の田名部和裕元事務局長らは、そう口をそろえた。

 阪神の揚塩健治球団社長が球場長だった10年、リニューアルした甲子園の新たな目玉で甲子園歴史館を創設。その完成記念試合で79年夏の甲子園大会3回戦を開催した。甲子園でやらなければならない試合だという一念で、プロ野球のシーズン中に公式戦以外の試合開催への是非を問う声もはねのけた。箕島-星稜戦の持つ歴史的意義に加え、故尾藤元監督の人柄が大きかった。体のあちこちに転移したガンの痛みと戦いながら、故人はユニホーム姿で最後の指揮を執った。

 「もうあの翌日であれば、尾藤さんは甲子園に行けてなかった」と田井元部長は明かした。体調を考えれば、ぎりぎりの日程。前夜は雨の中、阪神園芸など球場職員がグラウンドを整備。翌日は予報を裏切って、試合開始時刻のころに雨があがった。その日、周囲を動かす尾藤公の天才を甲子園で見た。【堀まどか】