全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える18年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫るシリーズ2「監督」の第2弾は、智弁和歌山を率いる高嶋仁さん(71)です。

 歴代最多の甲子園64勝はいかにして積み上げられたのか。名将が歩んできた道の物語を、全5回でお送りします。


 1月7日から11日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。



 智弁和歌山・高嶋仁監督は、行動の人だ。甲子園を目指し、寝る間も惜しんで選手たちを鍛え上げた智弁学園(奈良)時代。昼休み、力尽きたように体育館で寝ていた姿を当時エースの山口哲治氏(元近鉄)に目撃された。

 私的な時間などなかったのだろうなと思っていたら、一目ぼれした女性と結婚。週末の練習後に彼女が住む東京に車を飛ばしてつかの間のデートを楽しみ、翌日の練習に間に合うように弾丸ドライブで帰宅。押しの一手で結婚にこぎつけた。その相手が紀久子夫人。夫人に初めて会ったとき、この人のためなら弾丸ドライブも平気だったのだろうなと私も納得した。

 智弁和歌山で謹慎処分を受けたときも、ひざの痛みを抱えながらお遍路の旅に出た。若いころならオニの形相で歩いたのかもしれないが、今回取材した内容はかなりの部分が珍道中。その日のうちにたどり着けずに旅館の経営者に叱られたり、ひとりぼっちの部屋で足裏のマメに薬を塗ったり、暗証番号を忘れて生活資金をおろせなかったり、道中で学校の仕事仲間に土産を買って送ったり。生活感にあふれた話は新鮮だった。

 つえにすがって歩いた遍路道で、あるお札を見つけたとき、カミナリに打たれたようになったという。「山奥行ったときに、何げなしにぱっと見たら『一瞬の感情で地獄に堕ちる人もいる』っていうのがあったんです。これ、俺のことやって。いっぱいある中で、ぱっとそれが目に入った。うこれは御大師さんが会わせてくれた言葉やなと思うてね」と驚きながらも、弘法大師に感謝した。信念を持った行動は、好結果につながっていく。前に踏み出す監督の意思の強さは、いくつになっても変わらない。【堀まどか】