これが掛布雅之だ。短命だった。惜しまれての退任劇だったが、試合後である。選手からの要望だけにあらず、詰めかけた7131人のファンからも選手たちに「掛布を胴上げしてくれ」の真に迫る熱烈な声が何度も何度も飛んだ。「胴上げは優勝監督がされるのが美学。僕がされる立場ではない」断固として辞退した。これが、野球人・掛布の美学であり「1人に強くなれ」は若虎育成への掛布イズムである。一緒に戦ってきた男。実に掛布らしい一面が見えた引退試合だったが、私が目の当たりにして“すごい”を感心した舞台があった。1985年、日本一に登り詰めた年のペナントレース最終戦の最終打席である。

 40発、108打点をマークしている。4番の重責は十分果たしていた。最終戦の場所は今はなき後楽園球場。相手は巨人。このシーズン最後の打席が注目されたのは、バッターであれば誰もがこだわる“3割”がかかっていたからだ。掛布がいつも通りバットを片手にグラウンドへ出ようとしたときだった。「このまま打席に立たなかったら、新聞紙面上の最終打撃成績は、四捨五入して.300で掲載されるはずや」(球団関係者)の話がでた。一瞬「どういう事」など、まわりから議論白熱したが本人のひと言がすべてをさえぎった

 「そんな偽物の3割でごまかしたくないね」には全員が無言。二の句が継げなかった。これぞ“ザ・カケフ”だ。逆に打席の掛布をベンチ全員がかたづをのんで見守った。会心の当たりだった。バットの真芯で捉えた痛烈な打球は中前で弾んだ。強烈なプレッシャーがのしかかる中での一打で476打数、143安打。打率は文句なしの3割へ。あの場面での状況を思い出すと鳥肌が立つ。誰の助けもないあの打席。自分を信じるしかない中での一打。まさに「1人に強くなれ」をほうふつさせるヒットだった。

 笑い話に終わってよかったが、この場面でこんなエピソードがあった。掛布のヒットが出たあとだった。同選手の成績をはっきりと計算してみると。最終打席前の成績は475打数、142安打で打率は2割9分8厘9毛ではないか。しかし、四捨五入しても2割9分9厘で3割には届かない…と、とんでもない大間違いをしていたが、さすが球界のスーパースターだ。すべてを帳消しにしてくれた。

 「野球は団体競技。チームプレーだと言われていますけど、本当は個々のプレーの集合体なんです。打席でも、守っていても誰も助けてくれません。だから若手には『1人に強くなれ』と言い続けてきたんです。1日24時間の中で一人で練習する時間を10分でもいい。20分でもいいから持ってほしい。これが自然にできるようになったら、1軍で通用する野球ができるようになる」

 1人に強くなれ-。すごい光景を目にした。初めてその姿を見たのは、私が阪神タイガースへ復活(フロント)した2年目の、ハワイはマウイ島で行われたキャンプでだった。ある日、1人、ホテルの横にあるビーチを散歩していた。すると、1人で黙々とバットを振っている選手がいた。気付かれないよう、遠巻きにそっとのぞいてみる。左バッターである。一本足になっての素振り。シルエットから想像する限り“31番”に間違いない。すごい雰囲気だ。近寄りがたい。時々“ハッ”気合のはいった声が聞こえる。近づける雰囲気ではなかったので後日、一本足について聞いてみた。「集中力を養うため」だという。巨人王のごとく左足一本で何分も立ち、ただ1点を見つめてバットを振りおろす。誰の目も届かないところで1人黙々と、一心不乱のバットを振る姿。話には聞いていたが、これが掛布なのだ。

 若かりしころは写真週刊誌に狙われた。飲酒運転もあった。ヤンチャな一面をも持っていたが、すべてを1人で振り払ってきた。今や阪神は発展途上の若手がつぎつぎと台頭してきた。「1人に強くなれ」掛布イズムは浸透しているか-。遺産としてチームに残るか-。OBの1人として期待したい。

【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)