元日本ハムの保坂英二さん(64)は、31歳で球界を去った。いかに生活するか考えていた時、アドバイスを送ってくれた人がいた。


保坂さんの店には野球やゴルフを練習できるスペースが設けられている
保坂さんの店には野球やゴルフを練習できるスペースが設けられている

 保坂さん(以下、敬称略) 証券会社に勤める方でした。野球界とはまったく関係がないのですが、ずっとお世話になっていました。その方に言われたんです。「まず、人に頭を下げることを覚えなさい」と。それが一番大切だと。私はずっと野球界にいて一般の社会人の経験がないし、選手時代はチヤホヤされていましたから。頭を下げた経験がありませんでした。


 助言に従い、営業職を探した。知人を通じ、伊豆・熱川温泉のホテルで営業の職に就いた。東京にいて、旅行代理店などを回る仕事だった。


 保坂 旅行代理店を回って「うちのホテルにお客さんを送ってください」と営業する仕事です。


 実際に頭は下げる場面はあったのか。


 保坂 そうですね。威張っている人もいますし、言葉遣いを知らない人もいました。体育会系は年功序列がきちんとしているでしょう。でも、外の世界はそうじゃない人もいました。でも、そういう人ばかりじゃない。楽しい仕事でしたよ。人と人とのつながりですからね。


 どんな仕事ぶりだったのか。


 保坂 都内で代理店を回るだけじゃなく、伊豆で添乗員さんを接待もしました。現場の話を聞いて次の仕事に役立てる。あとは代理店で接客する女性と仲良くなって飲みに行ったりね。仲良くなるのが一番だと思いましたよ。いろいろな話を教えてもらいました。


 どんな話を。


 保坂 旅行の申し込みに来る人は、ほとんど…8割から9割は漠然とした計画でくると言ってました。例えば「伊豆に行きたい」「四国に行きたい」「北海道に行きたい」。ホテルまで指定してくるお客さんは少ないと。そこで、自分のホテルを勧めてもらうには、接客する代理店の方と仲良くなっておくのが一番だと思いました。だから通い詰めました。今はコンピューターの時代だから、そうじゃないかもしれませんけどね。足を運ぶ時代じゃない。便利だけど、味気ない気もしますね。


 プロ野球時代の仲間もたくさん来てくれた。


 保坂 日本ハムの選手会納会をやってくれたりね。それを契機に自主トレやプライベートでも来てくれるようになった。地元の料理店も協力してくれて、伊勢エビとかアワビとか出してくれましたね。そういう時は私も伊豆まで行って、一緒に楽しんでいました。


 野球にも関わるようになった。中学時代の長男が「足立ベルモントボーイズ」に入団すると、コーチ就任を依頼された。長男はすでに社会人になっているが、今もコーチに名を連ねている。


 保坂 中学生は年齢的に孫でしょう。選手は私のことを「ホサじい」と呼ぶんですよ。最近は還暦野球でプレーするようになったので、あまり指導には行けていませんね。


 還暦野球とは参加資格に「60歳以上」という条件があり、塁間やマウンドまでの距離が2メートル短い。保坂さんは、東京都還暦軟式野球連盟に登録する「品川ベースボールクラブ」に所属している。


 保坂 私はファーストで監督です。エースは遠藤で、キャッチャーは高浦。センターは庄司です。


 遠藤って…


 保坂 大洋の遠藤ですよ。背番号24番。


 遠藤一彦さん。通算134勝58セーブを挙げた大洋のエースである。捕手の高浦美佐緒さんといえば、法大で江川卓さんとバッテリーを組んでいた。大洋でプレーし、引退後はコーチやスカウトを歴任した。センター庄司智久さんはロッテなどで活躍していた。

 随分と豪華な還暦野球ではないか。


 保坂 相手が喜びますね。遠藤は現役時代にアキレス腱(けん)を痛めているから、ヒョイヒョイとしたピッチングをしています。還暦野球の試合が土曜だけ。日曜日は「孫と遊びなさい」となっています。みんなで野球をやって、終わってから飲んだり食べたりするのが楽しい。70歳ぐらいまでやりたいね。


日本ハム時代の保坂氏
日本ハム時代の保坂氏

 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 59歳になった2012年。約25年間勤めたホテルを退社した。


 保坂 定年じゃないけど、ちょっと疲れてね。悠々自適に暮らせるわけじゃないから、どうしようと思っている時に友人から声をかけられた。「ホテルを辞めたなら一緒に店でも出さないか」と。友人の実家が空き家になったので、そこを改造して、この店を出しました。


 バー「ラ・メール」は、茗荷谷駅から徒歩10分ほどの位置にある。住宅街の中に溶け込んでいる。


 保坂 ホテル時代からレストランを手伝ったり、接客は好きでした。長く営業をやっていたからトークにも困りません。だから、この仕事にもすんなり入っていけた。やっぱり球界を出る時、頭を下げることを覚えたからでしょうね。今更ながらに、ありがたい助言だったと思います。


 カウンター後方に設置された大画面のテレビで野球中継を流す。東京ドームからも近く、野球ファンが訪れる。


 保坂 野球好きな方がいらっしゃるので、野球の話をすることが多いですね。文京区は学童野球も盛んで、そのスタッフの方も来てくれます。プロ野球の仲間もたくさん来てくれます。


 昭和28年生まれのプロ野球選手で結成した「28会」という同年代のグループがある。中畑清さん、真弓明信さん、田尾安志さんらがいる。

 カウンターには「中畑清」と名前が入ったグラブが置いてあった。中畑さんがDeNA監督を退任した際の慰労会は、ラ・メールで開催された。


 保坂 プロ野球での経験と仲間は財産です。


 店のテーブル席の横には、ネットが張ってある。ゴルフクラブが置いてあり、軟式ボールも転がっていた。野球やゴルフの簡単な練習なら十分にできるスペースが確保されている。

 保坂さんは、ここで小学生に野球を指導している。お客さんや知人の息子さんを無料で教えている。どのような指導をしているか聞いた。


 保坂 子どもは「速い球を投げたい」「遠くまで飛ばしたい」と思うでしょう。それなら基本です。ピッチングでいえば、下半身を使って突っ込まないフォームを覚えておく。プロのOBにも聞きますけど、変な癖は大きくなってから直らないと言います。高校生だって、もう10年以上もそのフォームでプレーしているわけでしょう。簡単には直らない。だから小、中学生のうちに直しておくべきだと思います。


店内には日本ハム時代のユニホームが飾られていた
店内には日本ハム時代のユニホームが飾られていた

 午後2時までランチ営業で、しょうが焼き定食やカレーライス、ハンバーグなどの料理を出す。日本ハムの商品も使っているという。そして、休憩時間に少年に野球を教え、夜の営業に入る。土曜日は還暦野球。多忙だが、充実した日々を送っている。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 2011年に公開された映画「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」で、保坂さんは野球の技術指導をした。主演の前田敦子さんとキャッチボールもして、「先生」と呼ばれていたという。


 保坂 前田さんは左利きだったけど、どちらでも同じだからと右で打つことになった。その方がカメラが撮りやすいと。構えやバットの位置を指導して、空振りして倒れ込んだ。監督さんに「おかしくないですか?」と聞かれて、「大丈夫です」と。すごいなあと思ったのは泣く場面です。リハーサルは普通に台本を読んでいるけど、本番になったら本物の涙が出てる。私はAKBを知らなかったんですけど、今は出演していた前田さんと峯岸みなみさんを応援しています。


 前田さんだけでなく、部員役の俳優にも指導した。


 保坂 部員役の俳優さんで、野球の経験者は1人だけでした。監督から「リアリティーを出してください」と言われて苦労しましたね。例えば新体操をやっていた方がいて、動くと、どうしてもつま先が伸びちゃう。


 公開された当時も鑑賞したが、取材後にあらためてDVDをレンタルして映画を観た。確かに、エンドロールには「野球指導 保坂英二」と名前が出てくる。


 保坂 冒頭の場面でボールが空高く舞い上がるシーンがあったでしょう。あれ、私が投げたボールです。撮影をずっと見ていましたが、すごいですね。真冬に撮影したのに、映画になったら完全に真夏のシーンになっている。いい経験をさせてもらいました。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 後日、客としてラ・メールを訪れた。元高校球児の父という方、楽天ファンの方という常連客の方が保坂さんと野球談議をしていた。私もカウンターに座り、会話に交ぜてもらった。

 会話の合間にネットへ入り、ゴルフボールを打ち込んでいる方もいた。聞けば翌日にラウンドする予定だという。お酒を楽しみながら、最終調整もできるというわけだ。

 私も打とうかと思ったが、やめておいた。私にはシャンクの癖がある。

 ちょうど球が飛んでいきそうな右方向の壁には、保坂さんの現役時代のユニホームが飾ってあった。【飯島智則】