22日は闘将こと星野仙一さんの誕生日です。1947年(昭22)生まれなので、生きていれば77歳。

闘将として背負ったなじみの背番号と同じ数字になっていたところですが惜しくも18年1月4日に亡くなっています。

03年の虎番キャップ時代からの付き合い。当時も、その後も、お茶を飲みながら、いつも聞かされたことを思い出します。こんな話でした。「お客さんを、阪神ファンをもっと喜ばせてやりたいなあ。せめて3年にいっぺんぐらい優勝せないかん。ホンマ、そう思うぞ」。

子どものころからの阪神ファン。現役生活は中日だけでしたが、その思いがかない、阪神監督に就任したのは02年。翌03年に18年ぶりリーグ制覇を果たしましたが、体調不調などもあり、そのシーズン限りでタテジマを脱いでいます。

その後もオーナー付シニア・ディレクターとして阪神に関わりました。楽天の監督として自身初の日本一にも輝きましたが、最後まで猛虎愛の人でした。

猛虎愛といえば、現在の指揮官・岡田彰布氏も負けていません。現役の最後はオリックスでしたが、どこまでいっても「阪神の岡田」であることに変わりがないのは周知の事実。その岡田監督について、星野氏が言っていたことを、いま、思い出します。

「岡田はコーチのときも、評論家になっても『自分が監督になったらどうする』という視点を持ち続けていたんやろうな。そう感じるわ。ハッキリ言って、それが他の人間と違うところやな」

星野さんと岡田監督の2人はプライベートで付き合うといった仲ではありませんでした。勝手な印象で言わせてもらえば「どちらが阪神を好きか」という点で競っているかのようにも感じたものです。

そう考えてみれば阪神というチームは本当に恵まれていると思います。ファンはもちろん、関係者からこんなに愛される球団もあまりないのではと思います。

「ファンを喜ばせたい」という星野さんの願いは、昨年、岡田監督が見事に果たしました。それでも、これまでのことを考えれば「まだまだ、こんなもんやない」という気もしています。だからこそ、球団史上初の連覇の実現は重要なのです。星野さんもきっと空の上から声を出していると思います。「岡田! いけ!」と。【編集委員・高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)

2006年2月、阪神春季キャンプ ブルペンで投球練習を笑顔で見る星野仙一SD(左)と岡田彰布監督
2006年2月、阪神春季キャンプ ブルペンで投球練習を笑顔で見る星野仙一SD(左)と岡田彰布監督
2003年12月、ファンを招いて優勝記念謝恩パーティーが行われ、壇上で話しこむ星野仙一SD(左)と岡田彰布監督
2003年12月、ファンを招いて優勝記念謝恩パーティーが行われ、壇上で話しこむ星野仙一SD(左)と岡田彰布監督