山根義隆という名選手がいた。彼は有望すぎたがゆえに、中学の先輩に暴力を振るわれ、利き手の右肘を壊された。

もちろん1度は野球をあきらめたが、そこに現れたのが、のちにメジャーリーグでも活躍する茂野吾郎。彼もまた右肩を壊していたが、不屈の精神で左投げに転向し、屈指の左腕として活躍していた。触発された山根も左投げ転向を決意。茂野のライバルとして成長していった-。人気野球漫画「メジャー」の名シーンである。

京産大・杉野翔悟外野手(4年=近江)は「僕は茂野より、山根が好きですね」と笑った。

10月8日、関西6大学リーグ神院大戦で2安打を放ち、大学通算100安打を達成した。リーグ史上13人目の大台だ。

高校時代から肩、肘の故障が多く、大学2年時に2度目の疲労骨折。同じ故障を繰り返す理由は分からない。ミート力を生み出す独特な打法が影響しているのか、とも思う。「右肘を固定するようにして、手首でボールを拾うような打ち方をします。肘を支点にしてボールに合わせるので、その影響があるのかもしれませんが…」。

「野球ができなくなる不安があった」が、右肘手術に踏み切った。2年冬には、もう1つの決断を下した。何と「左投げ」への転向だ。生粋の右利き。勝手はまるで違う。はしで米粒や小豆など小さなものをひたすらつまんで、本当の「左利き」になろうとした。「めちゃくちゃイライラしました。でも感覚をつかまないといけない。ステップが必要だった。冬だったし、ゆっくりできました」。

地道な努力で70メートルまで投げられるようになり、外野からの本塁返球はワンバウンド。ラストシーズンはDHで出場しているが、外野での出場に問題のないレベルまで仕上げ、出場機会を減らさなかった。

「苦労しました。速いライナーを捕る時に反射的に左手が出ちゃう。練習では何度も顔に当たりかけました」。想像を絶する苦労も今では笑える。右投げに戻すことも考えたが「もうケガはしたくない。今も怖さがある。右手が飛んでっちゃうんじゃないかと」と再発の恐怖は消えない。

杉野は50メートル走5秒9の走力を生かすために小6で左打ちに変えている。右右→左左と変えて、大学レベルで一流の結果を残した選手は珍しい。社会人野球への道も探っていたが、大学でバットを置くと決めた。どうしてここまで頑張れたのだろう。「あきらめない心というか。挑戦は無限ですから」。漫画のようなチャレンジに拍手だ。【柏原誠】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)