日本人投手に、大きな影響を残した偉人が亡くなった。投手としてドジャースなどで3度ワールドシリーズを制し、パドレス、ジャイアンツで監督を務めたロジャー・クレイグ氏が4日、サンディエゴで死去した。93歳だった。

90年、ジャイアンツ監督時代のクレイグ氏(AP)
90年、ジャイアンツ監督時代のクレイグ氏(AP)

現役時代は通算74勝98敗、監督では通算738勝737敗の成績を残しているが、日本では、それ以上に1980年代を席巻した「スプリット・フィンガード・ファストボール(SFF)」の始祖として知られる。現在もエンゼルス大谷翔平投手(28)ら、多くの日本人が武器としてきたスプリット。クレイグ氏の功績は大きい。

クレイグ氏は現役時代、ドジャースを皮切りに、メッツ、カージナルス、レッズ、フィリーズで通算74勝を挙げた。3度ワールドシリーズ王者に輝いた。66年に引退すると、パドレスの投手コーチを務め、78年には監督に就任した。79年で限りで退任すると、80年にはタイガースの投手コーチに就いた。

62年、メッツで現役時代のクレイグ氏(AP)
62年、メッツで現役時代のクレイグ氏(AP)

ここで、投手陣に現役時代から使用していたスプリットを伝授した。フォークボールより指を狭くし、肘への負担を減らすもの。フォークより球速が早く「魔球」と呼ばれた。84年にタ軍はワールドシリーズを制した。中でも教え子のジャック・モリスは19勝を挙げるなど活躍。後に通算254勝をマークし、殿堂入りも果たした。

クレイグ氏の投手コーチとしての評判は上がったが、タ軍のフロントは年俸が高騰することを避けるため、契約延長を断った。85年9月、クレイグ氏はジャイアンツの監督に就任した。

86年はアストロズのマイク・スコットが、くしくもジャイアンツ戦でノーヒットノーランを達成した。83年オフに、クレイグ氏から伝授されたスプリットを駆使した。同年は18勝10敗、275回1/3で306三振を奪い、サイ・ヤング賞に選ばれた。オフには日米野球で来日し、SFFが日本でも大きな話題となった。87年には人気ゲーム「プロ野球ファミリースタジアム'87」に「メジャーリーガーズ」が登場。スコットとスプリットがモデルとみられる高速フォークを武器とする「すこつと」は、日本の多くの子供たちに印象づけられた。

ヤンキース時代の田中将大、黒田博樹ら、多くの日本人投手がスプリットを武器にメジャーリーグで活躍してきた。クレイグ氏の功績は多大。ご冥福を祈りたい。【MLB担当=斎藤直樹】

15年「オールド・タイマーズ・ゲーム」でドジャースのユニホーム姿を披露したクレイグ氏(AP)
15年「オールド・タイマーズ・ゲーム」でドジャースのユニホーム姿を披露したクレイグ氏(AP)