日本球界史上「最強の助っ人」とされるランディ・バースと1時間以上にわたり、話す機会に恵まれたことがある。戦後50周年企画として昭和のスポーツ界で名前を残した人々を取り上げる95年の大型連載「この道」での取材だった。

都内ホテルの1室。バース、英語の通訳を務めてくれた東京本社の女性記者、こちらの3人だけでじっくり話をした。85年の阪神日本一当時はまだ大学生、本人を目の前にするのはもちろん初めて。「バースやん…」と緊張したことは28年前でも覚えている。

そのバースが13日、エキスパート表彰で野球殿堂入りしたことが発表された。喜びのインタビューで「日本野球への適応で苦労したことは」と聞かれ、以下の話をしたようだ。それを読んで95年に聞いた印象深い話を思い出した。

バース 米国ではボールカウントが3-0、3-1なら速球でしたが日本ではフォーク、チェンジアップ、スライダーが来ました。その攻められ方に慣れるまで対応に苦しんだことを覚えています。自分の中で「オッケー、ここはフォーク、スライダーがくるぞ。それを待つんだ」と言い聞かせて打席に入っていました。速球で攻めてこないことに慣れれば慣れるほど結果もついてきたと思います。

当時、同じことをこちらも質問した。もっとぶしつけに「米国流のパワーだけでは通用しないと最初は感じた?」と聞いたのだ。するとバースはニヤリとしながら、こんな話をした。

「変化球に対応するにはパワー、力が必要なんだ。速球だと思って打ちに行ったけれど『これは変化する!』と思ったらそこでバットを止める。あるいはタメをつくって打つ。どちらにしても体に力がないとできない。自分は力があったからこそ対応できたんだ」

変化球対応には力がいるという説明は新鮮だったが、その後、プロ野球の取材を続けるうちに素人ながらその意味が分かるような気がしてきた。

思うのは佐藤輝明のことだ。パワーはあるし、センスも当然ある。なくて新人から2年続けてあの成績は残せない。課題は不調期間が長いことなどか。佐藤輝がバースの言う独特の感覚を身につければさらにレベルは上がると思う。間違いなく猛虎のスター候補生である。3冠王も狙ってほしい。ここはレジェンドの話をヒントにしてほしいと願ってやまない。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

阪神ランディ・バース(1983年撮影)
阪神ランディ・バース(1983年撮影)