さぁ、21日から甲子園が始まりましたね! もちろん、今年も現地で取材。試合はもちろん、選手の素顔を探しに、走り回っています。

 さて、今大会の開幕戦、神村学園対岩国戦を制したのは神村学園(6-1)でした。

 勝利の原動力。それは、三塁コーチャー・伴野亮太君(内野・3年)の「声」でした。

試合が終わって、宿舎でテレビ観戦をする選手たち。みんな笑顔です
試合が終わって、宿舎でテレビ観戦をする選手たち。みんな笑顔です

 7回、先頭バッターの河野涼君(二塁・3年)君はセンター前ヒットで一塁へ。

三塁コーチャーズボックスから、おっきな声で

 「よう打ったな!」

 そう伴野君が声をかけると、河野君は、この試合初めてニッコリ笑いました。

 三塁コーチャーの伴野君が、試合開始からずっと気になっていたこと。それは河野君がずっと緊張してこわばった顔をしていたことでした。攻守交代のときに声をかけてはいたものの、初めての甲子園に大観衆の中でのプレー。なかなか笑顔が出ることはありませんでした。

 初ヒットを打ち、伴野君から声をかけられやっと笑顔に。

 「よし! これで河野は大丈夫や」(伴野君)

 全員の笑顔が揃った神村学園。

 続く仲山晃輝君8中堅・3年)はショートへの内野安打。

 「ゴロで進塁する。この冬、ずっと練習してきたプレーでした」

 この1本の内野安打で河野君は好スタートを切り三塁まで進塁。やっと緊張がほぐれた河野君が落ち着いて練習通りのプレーをしてくれました。そして、一死一三塁から山本卓弥君が3ランホームラン。この回、一気に5対0と引き離しました。

 「小さいころから声だけは大きくてレギュラーにもなれなかったんですが、当時の監督から“声が出る選手は使える”って言ってくれたことがうれしくて、それをずっと自分のセールスポイントにしてやってきました」

 大阪から神村学園進学を決めたのも、その「声」に惚れたから。

 「練習を見に行ったら、全員で声を出して楽しそうに練習をしていたんです。しかも、マイナスの声がひとつもない。関西だったら、エラーをしたら罵声を浴びせることもあったんですが、神村学園はそれが1つもなかった。そこに惚れて受験。もし、神村学園に落ちたら、地元の公立高校に進学して野球は辞めようと思っていました」

 意志を貫いて入学したものの、野球の強豪校、神村学園の練習は想像以上に厳しいものでした。初めての寮生活で身の回りのことは自分でやらなくてはいけない。その上、当時は1年生が上級生の洗濯を担当。寝るのはいつも夜中の2時、3時。朝6時には起きて食事の準備。

 「しんどくて、はじめの3日間が3カ月に思えるくらい長く感じました」

 何度も辞めて大阪に帰ろうか…。そう思ったときに支えになったのはチームメートの言葉でした。

 「あと半年頑張ればきっとラクになるよ、あとちょっとだよな」

 ここでもマイナスな言葉ではなくて、プラスな言葉。

 「言葉って本当に大事。人を前向きにさせて元気にしてくれるんです」

 普段は恥ずかしくて言えない言葉も、勇気を出して言葉に出してみたら、何かが見える。人の心を動かすこともある。伴野君は、その大切さを1年のときに身を持って感じました。

 新チームからは、寮長も任され「上下関係はグラウンドだけ。寮ではゆっくりと休める環境を作ってあげたい」と、下級生の洗濯係などを廃止。

 試合に出場しないときは、伝令も担当。実は、チームにはこんなジンクスがあります。

 ――伴野君が伝令に来ると、失点しない――

 「監督さんが言った言葉と、自分で何かひと言、考えて伝えています。そこでも前向きな言葉を言うから立ち直ってくれると思うんです」

 陰でチームを支える伴野君の力。チームのみんなを笑顔にかえ、その“魔法の言葉”がプラス思考にしてくれます。

 今大会は背番号14ですが、もちろん、レギュラー入りもあきらめていません。

 それは、原点である「声が出る選手は使える」を忘れていないから。

 次の試合も、大きな声でチームを引っ張ります。

チームの陰キャプテン、伴野君。声でチームを引っ張ります
チームの陰キャプテン、伴野君。声でチームを引っ張ります