「仙台育英の上林(誠知=ソフトバンク)君の打球がね、あのネットを越えて仮設住宅まで飛んで行っちゃったことがあったね。当時からすごい打者でしたよ~」


 第64回春季東北地区高等学校野球大会が8日、宮城で開幕した。メーン球場の石巻市民球場の管理を担当している佐々木忠さん(54=市教育委員会体育振興課主任)は、ライト方向のネットを指さして、懐かしそうに当時を思い出した。過去1回だが「打球が飛ぶほど」の近さに、仮設住宅エリアがある野球場。それが石巻市民球場だ。佐々木さんは「復興は進んでいますが、仮設で暮らしている人はまだいます。そのことを肌で実感できる野球場は、日本でここだけかもしれないね」と静かにつぶやいた。


■開会式のファンファーレと、あふれ出た涙


 春の東北大会が宮城で行われるのは2005年以来12年ぶりとなる。2011年に予定されていたが、東日本大震災の影響で大会が中止になったからだ(秋の東北大会は2014年実施)。 石巻市民球場の管理、グラウンドキーパーを14年間行っている佐々木さん。大会に際し、胸にいろいろな思いが去来しているという。


 震災後のことだ。大きな破損を免れた石巻市民球場は、自衛隊の駐留地として活用された。1年以上、物資の保管や、活動の拠点として重要な役目を果たしたが、大型車の出入りなどにより、天然芝(当時)が痛み、グラウンドは荒れてしまった。

 「野球場としては、もうダメかもしれないな…」

 水の運搬など、支援活動に駆けまわっていた佐々木さんにも、諦めの気持ちがよぎった。当時、口に出すことはできなかったが、手をかける大変さを1番知っているからこそ、希望を見いだすことはできなかった。


 しかし、大きな動きがあった。2012年、アメリカ政府とMLBが中心となって「TOMODACHI イニシアチブ」を実施。100万ドルの支援を受けて芝を人工芝に張り替えた。そして2013年夏、宮城大会としては初となる、石巻市民球場での開会式が行われたのだ。

 「地元ブラスバンド部の演奏が始まった瞬間ね、思いが急にこみ上げて来てね…」

佐々木さんは、目からあふれ出る涙を止めることはできなかった。

 「またここで野球ができる、始まるんだと思ったら、自然と涙がね…。監督や部長と一緒に泣いたね。あのシーンは一生忘れないだろうね」


■石巻の復興、今の姿を感じられる野球場


 大会中の佐々木さんはとにかく忙しい。芝の上に乗ってしまった土を、専用のクマデで掃く手作業は5人がかりで約6時間かかるそうだ。手入れの大変さは天然芝の時と変わらないという。仕事とはいえ寝不足との戦いになるが「選手のプレーを見ていると疲れも吹き飛びますよ!」と元気に話す。弱音を吐くことは決してない。

 震災から6年。復興は進んでいるように感じられる。しかし宮城にはまだ約1万8000人の避難者がおり、見つかっていない人もいる。そのことを私自身も忘れるわけにはいかない。「佐々木さん、今回の東北大会は、東京や大阪からもメディアやスカウトが来るんですよ」と教えると「そうなんですか!」と目を丸くし「いまの石巻の姿を見て、頭の片隅で何かを感じる大会になってくれたらいいね」と笑顔で話した。

 東北大会という“大仕事”に腕まくりをする佐々木さんは、今日も元気にグラウンドを整備する。【樫本ゆき】