初出場の創成館(長崎)は、70年前に原爆を投下された「8月9日」に、天理(奈良)を破り、県勢春夏通算60勝に伸ばした。

 8月9日午前11時2分の原爆投下から、およそ70年後の試合開始だった。創成館は長崎県民の気持ちを受けて戦いに挑んだ。

 学校に春夏通じて甲子園初勝利を導いたのは4番鷲崎だった。9回2死三塁から、甘めに入った直球を振り抜いた。ライナー性の当たりが右前に落ちた瞬間、こぶしを握りしめた。今年1月に左肘の手術を受けて、投手から外野手に回った主砲が苦難を乗り越えてのサヨナラ打だった。

 「自分が決めようと思っていた。黙とうしたとき、絶対に勝ってやろうという気持ちが強くなった。長崎の人に喜んでもらえたらいいですね」

 鷲崎の言葉には深い意味が込められていた。試合開始は11時5分。10時50分に選手らはベンチ前で黙とうした。11時2分には生徒や選手の家族、学校関係者らがアルプス席で黙とうした。選手は抽選で試合日時が決まって以来、運命を感じながら練習に取り組んだ。「長崎にとって特別な日だった。勝てたことがうれしい」。稙田(わさだ)龍生監督(51)は熱く語った。

 さまざまな感情を持って試合に臨んだ。2番打者の嶋田は胎内にいるときに被爆した曽祖父を持つ。「母から話は聞いていた。大切な試合で勝てたことは大きい」。痛めた右肘をテーピングして懸命にプレーした。3安打を放った宇土も長崎県内育ち。「小学校から8月9日に登校して被爆者の話を聞いた」という。長崎市内で平和祈念式典の行われた最中、選手は平和への感謝を野球で体現した。【中牟田康】

 ◆8月9日の長崎県勢 戦後の8月9日に出場した長崎県勢は創成館が延べ7校目。74年佐世保工が高橋慶彦(城西=元阪神)に完封された後は、05年に清峰が同年センバツVの愛工大名電を破るなど、これで4連勝となった。

 ◆体調不良 創成館・中島崇内野手(3年)が1回戦・天理戦の8回後、両足などのけいれんを訴え、甲子園球場内で熱中症と診断された。峯周汰外野手(3年)は7回の頭部死球の影響で、試合終了後にめまいを訴えた。尼崎市内の病院で診察を受けて異常はなかった。2人とも体調が回復したため、チームに再合流した。