116年の歴史で初めての女子マネジャーになった。仙台二・鎌倉有里さん(1年)は「もともと野球が好き。中学3年の時にベスト4をかけた試合を球場で見て、野球をやっている人をサポートしたいと思った」と振り返る。

 ほとんど、一目ぼれだった。15年夏の宮城大会。コボスタ宮城で行われた準々決勝で「二高」のかっこよさに心が射抜かれた。そのまま志望校を変更。宮城でもトップを争う有数の進学校だったが迷わなかった。夏の模試の判定は「B」だったが、「1日12時間勉強しました」と恋心を原動力に猛勉強。一夏でS判定を取れるほどになった。

 念願かなって入学すると、早速動いた。2007年度に男女共学になったが、1900年の創部以来女子マネジャーはいない。4月上旬、金森信之介監督(30)へ直談判をしにいった。「直接頼みに行きました。それで最初はどういうことをやるとかの説明を受けて、覚悟が決まったら来てと言われた。で、次の日にまた行きました」。速攻で憧れの女子マネジャーの座を射止めた。

 上杉山中時代はソフトボール部に所属し、捕手と遊撃手を務めた。しかし右足首をケガし、サポートする側に回ろうと決めた。今は選手の飲料水を作ったり、ネットの補修を行ったりと仕事をこなす。この日の試合では球場外でファウルボールを拾うボールガールを務めた。藤沢真広主将(3年)は「マネジャーができてやってもらえる幅が広くて、1年生の負担が消えた。その分他のことを下級生ができるから、効率が良くなった」と話す。

 だが、与えられるものだけでは満足していない。鎌倉マネジャーは「またマネジャーの仕事が少ないと感じることがある。確立していない、自分で見つけていきたい」と話す。もっともっと選手の役に立ちたい。現在思い浮かぶ課題点を聞かれると、悩んで答えた。仙台二は練習の最後に反省点の振り返りがあるが、「決まった部員が発言している」と分析。「私はまだ1年生ですし、言えないですけれど、みんなが発言できるようになったらもっと良いですね」とした。

 仙台二の最大のライバル仙台一も同じく女子マネジャーが今年から入部したという。対抗意識はあるかと聞かれ、「同じように伝統校に入ったから一緒に頑張っていきたい」と話す。116年目での初の女子マネジャー。「重圧はあります。でも新たに伝統を作っていきたいし、最後まで全力でやりたい」。熱い熱い初めての夏を駆け抜ける。