8年ぶり9度目出場の明桜(秋田)が二松学舎大付(東東京)に19安打を浴び、2-14で初戦敗退した。秋田大会決勝で右肩を亜脱臼した最速146キロ右腕山口航輝(2年)が登板を回避。代役の背番号1右腕、佐藤光一(3年)が先発したが、6回途中までに12安打を浴びて8失点KO。守備でも6失策と乱れ、同校27年ぶりの夏1勝は遠かった。山口を筆頭にベンチ入りした6人を中心に、秋に向けて再始動する。

 剛腕の目に涙はなかった。山口にとって初の聖地のマウンドは、近いようで遠かった。12点差で大敗し、3年生の先輩たちが涙を流しながら甲子園の土をかき集める中、山口はあえて持ち帰らなかった。試合後は悔しさを胸にしまいつつ、関西弁で毅然(きぜん)と話し始めた。

 「マウンドに上がりたかったけど…悔しい。こっちに来てからは正直無理かなと。マウンドには立たれへんと思っていた。今だから言えるけど…」

 本番には間に合わなかった。秋田大会決勝で右肩を亜脱臼してからは、1度もブルペンに入れなかった。この日は、痛みが残る右肩をテーピングで固めて「4番右翼」で先発。先制を許した2回の右前打に対して全力でのバックホームができず、山なりの返球が精いっぱい。悠々と生還を許した。弱みに付け込んできた相手に、19安打中10本を中堅から右方向に集められた。6回には意地のバックホームを見せるしかなかった。

 「ライトに一番、球が飛んできた。悔しすぎて、痛いなりに投げた。(6回は)刺しにいったろ、と思った。試合に出してもらっている以上、痛いと言っている場合ではないので」

 甲子園初采配となった輿石重弘監督(54)は目先の1勝ではなく、山口の未来をとった。「状態はよくなっていたけど、完治はしてない。将来がある投手なので」。山口にも2年生ながらエース兼4番の責任があった。甲子園での登板が間に合わないと悟ってからも、態度に出すことなく黙々と練習してきた。「外れた人の分も頑張らないといけない。腐ることはなかった」と前を向き「いろんな人に支えてもらって試合に出られた。負けたけど、最後まであきらめずに戦えた」と支えてくれた人たちに感謝した。

 次は完全復調して、甲子園に乗り込む。山口の視線の矛先は既に、あと2枚残されている聖地行きの切符獲得へ向けられていた。「あと2回チャンスある。自分がチームを引っ張って甲子園に帰って来たい」。ベンチには山口を始め、6人の2年生が残る。右肩の回復は9月16日の秋の県大会開幕には間に合う見込み。明桜の新たな挑戦が、今日から始まった。【高橋洋平】