「リアル・ルーキーズ」として話題を呼んだ、春夏通じて甲子園初出場の白山(三重)が初戦で散った。初回にいきなり3失点。無死一塁で、一塁手有森紫苑一塁手(3年)が何でもないけん制球を後逸し、ピンチを広げ、先発岩田剛知(3年)が集中打を浴びた。岩田は「のまれた部分があったかな」。打線は芯で捉えた打球が正面を突く不運もあり、6安打無得点に終わった。

 夏の三重大会は16年まで10年連続初戦敗退だった。直前に夏1勝を挙げたチームの主将で、現OB会副会長の萩原慎二さん(30)は「進学時に周囲から『ほんまに白山で野球するんか』と言われた」という。毎年部員不足に悩み、他部の助っ人を借りていた弱小軍団の転機は、13年春。今の東拓司監督(40)の赴任だった。同年夏も初戦負け。新チームは5人で始まったが、最初はグラウンド作りに取り組んだ。伸び放題だった外野の雑草を処理、ネットをペンキで塗ってフェンスを作り、両翼に鉄パイプを埋めてポールを作った。「厳しそうな人が来たな、大変やな。それが監督さんの最初の印象でした」。5人の1人で外野手だった、中村匠さん(21)は当時を振り返る。

 前任地の上野で三重大会4強の実績があった東監督は、徹底した“実戦主義”を導入。29人乗りのマイクロバスを自腹で購入し、自らハンドルを握り、週末は遠征を重ねた。現在は年間約150もの練習試合を消化。今夏の部員数は55人に増えた。4番で捕手の辻宏樹主将(3年)が「日本一の下克上」と表現した今夏の快進撃は、熱血監督の情熱に導かれたナインの奮闘の結果だった。

 夢の舞台は1試合で終わったが、その空気を肌で知ったことは大きい。アルプス席には、人口約1万1000人の津市白山町から約2000人がバス50台で詰めかけ、超満員。その熱狂に合わせるように、終盤8、9回には球場全体から大歓声が送られた。東監督は「あんなに応援していただいて、それだけでうれしかった」という。再三の好守で球場をわかせた栗山翔伍遊撃手(3年)は「ベストプレーができた。練習でもしたことがない、初めてのプレーができた」と声を弾ませた。

 次の目標は、甲子園初勝利。辻主将は「今日の負けを後輩は見ているので」と後輩のリベンジに期待した。