大阪桐蔭の西谷浩一監督(48)が甲子園春夏通算7度目の優勝を飾り、PL学園・中村順司監督の6度を抜き、単独トップとなった。

 PL学園の存在が指導の原点だった。高校野球界の名門を倒さなければ、甲子園にはたどり着けない。「あと1球ストライクが入れば勝てるというところで、右打ちされて、気付けば、PLの校歌が流れているという試合が何回もあった。強さにしぶとさがあった。どうやったら、勝てるのだろう」。悩んだ日々があった。

 名将・中村監督との思い出がある。97年夏の大阪大会。準々決勝で大阪桐蔭はPL学園をサヨナラで下した。その試合直後、記者から「中村監督が呼んでいる」と声をかけられた。当時、西谷監督はコーチだった。敵将の言葉は思いも寄らなかった。「寮に帰って、選手(の気)を締めないといけない。浮ついた気持ちでいけば、絶対に負ける。これは監督ではなく、コーチがやらないといけないよ」。引き締めたつもりだったが、準決勝で履正社に敗れた。

 西谷監督は今でも思う。「試合に負けた後に、相手チームのコーチにそんなことを言えるかな、と。僕が逆の立場なら、絶対に言えない。負けて悔しいと思うところを」。監督に就任した後も「いいチームを作ったな」と折に触れて、中村監督に声をかけられた。「同じ学校の先輩のようなまなざしで言ってくれる。尊敬している監督の1人です」という。PL学園の野球部は休部となり、大阪桐蔭は史上初めて2度目の春夏連覇を成し遂げた。「(PL学園が)余計に神聖化されている。いつか追いつき、追い越したい気持ちがどこかにある」。今は見られない名門のユニホームを、まだ追いかけていた。