2年ぶり3度目出場の札幌第一は、山梨学院(山梨)に5-24で敗れた。初回の大量10失点が響き、流れを変えることができなかった。

道勢のセンバツでの19点差敗戦は、70年網走南ケ丘(0-15天理)を抜くワースト記録。24失点も春夏通じ、30年北海中(2-24)に並ぶワーストタイとなった。苦しい試合だったが、体調不良から復帰したばかりの大平裕人主将(3年)が3打数3安打1打点と奮闘。仲間を勇気づけた。

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やられっぱなしじゃ終われなかった。9回1死一、二塁、大平は外角の直球に食らいついた。「どうにか後ろにつないで粘ってやろうという思いだった」。器用に右へ流した打球は、一、二塁間を抜ける右前適時打となった。3回に中前打、5回にも右前打。1、4打席は四球と、全5打席出塁し、最後まであきらめない姿勢をプレーで示した。 今月上旬に行われた静岡合宿中に、急な腹痛と発熱のため病院に搬送された。大事な時期に、1週間チームを離れた。その間に代理主将を務めた大坪は言う。「なんとかまとめようと思った。でも自分の練習をしながらみんなのことを気遣うのはとても大変で、裕人のすごさが分かった」。この日のグラウンドでも、主将の存在感は際立っていた。 18日に大阪入りする際、大平の母さかえさん(52)は「再発したときの御守りに」と札幌の病院に申請し、関西の病院の紹介状を持たせた。小6の冬、札幌大谷の飯田柊哉主将(3年)らとファイターズジュニアとして臨むはずだった12球団ジュニアトーナメント直前にも、練習で左手首を骨折し出場できなかった。心配する母がスタンドで見守る前で、今回は9回まで全力プレーを披露。敗れはしたが、感謝の思いを体現することはできた。 初回に投手陣が山梨学院打線につかまり10失点。正捕手村田が右ひじを痛めて一塁手で出場するなど、ベストではないチーム状況が、大敗の一因となってしまった。それでも、必死でもがいて奪った意地の5点は、決して無駄にはならない。大平は目を真っ赤にして「ただの負けという悔しさを超えて、みじめさの方が強かった。甲子園の思い出を苦い思い出だけにしたくない」と前を向いた。この屈辱をバネに夏、再び聖地に戻ってくる。【永野高輔】

○…札幌第一大平主将、代理主将を務めた大坪らの家族が、アルプススタンドで、声をからした。大平一家は父明人さんと母さかえさん(ともに52)、兄健人さん(北海学園大3年)の3人で応援。大敗とはなったが明人さんは「いろいろあったけど、裕人が間に合って、ここでプレーできて良かった」と感慨深げに話した。大坪の父澄尚(すみひさ)さん(51)は「この球場で息子がプレーするなんて感無量」と話した。

○…札幌第一の背番号12門崎が、甲子園で公式戦デビューを飾り、初打席初安打初打点を記録した。8回の守備から捕手に入り、9回1死一、二塁で左前適時打を放った。昨年春と秋に控え捕手としてベンチ入りも出場はなく、「みんながつないでくれた打席。必死すぎて緊張する余裕もなかった。大舞台で安打を打てて良かった」と振り返った。