旭川大高が令和の甲子園一番乗りを決めた。昨年と同一カードとなった決勝でクラークを9-0で下し、2年連続9度目の代表を決めた。

1回に4番脇田悠牙中堅手(3年)の適時打などで3点を先制。4回にも3点を奪い大差をつけた。9年ぶり出場の昨夏甲子園は、史上初のタイブレークの末、佐久長聖(長野)に4-5で惜敗。悔しさを知る持丸泰輝主将(3年)がチームをまとめ、北大会では史上4校目の連覇を達成した。

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地元旭川スタルヒンの大歓声が、連覇を果たした旭川大高ナインを包み込んだ。勝ちどきを上げながら、持丸が最後まで1人で投げ切った能登をマウンドで抱き締めた。こみ上げる涙を抑え、整列へと仲間を導く。北北海道勢最多9度目の聖地切符は、チーム初の2年連続。「強力なクラーク打線だったけど、能登を信じた。よく抑えてくれた」。重圧と闘った背番号2は、真っ先にエースへの感謝を口にした。

あの瞬間から349日、ひとときも忘れることはなかった。「4番左翼」で迎えた昨夏甲子園、佐久長聖との1回戦。1点リードの8回2死一、二塁で左翼への飛球を落として逆転を許した。「甲子園は自分のミスで負けた」。以後バッグには、聖地でマスクをかぶった中筋大介捕手(仙台大1年)からもらった「落球」と刺しゅうされた革手袋をしのばせる。持丸は言う。「終わってしまったことではなく、次のプレーが重要」。苦い記憶を前を向く力に変えた。

チーム全体が、失敗を糧にした。冬場のきつい練習では、プラス思考の表現や言葉を使うことを徹底。練習中のミスは、個人攻撃に終わらせず、どう防ぐか話し合った。昨秋からは「1に対する厳しさ」をテーマに掲げた。練習から最初と最後の1球、最初の1歩にこだわった。全てはあと一歩で届かなかった聖地での1勝のためだ。

「持丸は人を引っ張る力が強烈。僕より上なんじゃないかな。今年は持丸のチーム。俺が言うことはあいつが言ってくれる」。端場雅治監督(50)の信頼は厚いが、当人はそう思っていない。1年時は同期28人をまとめるのに苦労し、10月には胃潰瘍で倒れ、1週間入院した。1年春から遊撃のレギュラーだった菅原と同期選手にあった溝を知り、気づいた。「誰かが中心になっていかないと」。その自覚が、主将持丸の起点となった。

端場監督体制となってから過去5度、聖地を踏んだが、いまだ未勝利。端場監督にとっては「忘れ物ではなくて、“落とし物”を取りに行く」6度目の舞台となる。代表切符は、あくまでも通過点。持丸は「今まで通りの練習の質や雰囲気だと甲子園では勝てない。守備も打撃も1ランクレベルアップしたい」と言い切った。甲子園で白星をつかんで初めて、第一関門突破となる。【浅水友輝】