砂川北、鵡川の監督として、春夏計6度甲子園に導き、8月に亡くなった佐藤茂富氏(享年79)のお別れの会が2日、札幌市内で営まれ、野球関係者、教え子など1000人が参列した。道外からも、佐藤氏が砂川北監督して84年センバツで対戦して以降、親交を続けていた元PL学園監督の中村順司氏(73)や、当時のメンバーで同年夏に準優勝した清水哲氏(53)らが参列した。

中村氏は「北島三郎さんの歌が上手でね。北島さんの歌が流れるたびに、茂富先生のことを思い出しています」と故人をしのんだ。清水氏は大学進学後の試合中に負傷。車いす生活になったが、それを聞いた佐藤氏は94年夏の甲子園に出場した際、タクシーを1日借り切って奈良の病院に見舞いに訪れた。その後、佐藤氏が道内で清水氏の講演会を企画し、毎年のように北海道に招き、観光にも連れて行ったという。現在、野球指導に携わっている清水氏は「何も恩返し出来なかったが、先生に学んだ元気・本気・一気の姿勢を、伝えていけたら」と話した。

弔辞は栗山、砂川北、鵡川のOBがそれぞれ読んだ。鵡川エースとして02年センバツに出場した鬼海将一現監督(35)は「今の立場(むかわ町職員として野球部指導)は来年夏で区切りをつけ、一から教員を目指します。先生のように教員として指導がしたい」と、恩師の前で高校教師を目指すことを誓った。