新型コロナウイルスの感染拡大による春季高校野球県大会の中止決定から一夜明けた5日、帝京長岡では1日付で就任した元日本ハム投手の芝草宇宙新監督(50)のもと、吉田行慶投手(3年)と西村俊亮捕手(3年)の“転校生バッテリー”が全国高校野球選手権新潟大会(7月11日開幕予定)に向けて活動を始めた。日本文理OBで元ロッテ投手の吉田篤史氏(49=現四国IL徳島監督)の次男、吉田は昨年4月に東京・帝京から、西村は一昨年12月に埼玉・浦和学院から転校。規定で1年間公式戦に出場できず、この春がデビューのはずだった。帝京長岡で最初で最後の公式戦になる夏にすべてをかける。

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新潟でのデビュー戦は遠のいた。ただ、吉田も西村もすぐに夏にターゲットを定めた。主将でもある吉田は「中止は誰のせいでもない。夏までにチーム力を上げる」。西村も「もともと目標は夏の甲子園に出ること」と気持ちを切り替えた。

吉田は「ここまで長かったけど、それがあるから夏に集中できる」と言う。最速137キロの右の本格派。昨春、帝京から帝京長岡に転校し春、夏、秋とスタンドからチームの敗退を見た。「自分が投げたかった」という思いに駆られながら力を蓄えてきた。

日本文理の初期のエースでロッテ、阪神で計13年プレーし、通算26勝の父篤史さんを「目標の投手」と言う。転校時、「お前が中心になって勝ち抜けるようになれ」と激励された。現役時代の父の投球は動画でよく見る。「カーブの使い方などが参考になる」と手本にしてきた。公式戦登板は帝京1年の秋に1試合。新潟に舞台を移しての登板までに、父に近づくための練習を重ねる。

西村は「行慶の存在が大きい」とエースに信頼を寄せる。吉田よりも4カ月早く帝京長岡にやってきた。転校組は2人だけ。チームの軸になるという気持ちを2人で育んできた。

転校当初は二塁手だった西村だが、3月に捕手にコンバート。芝草監督は「自分から指示が出せるし、気持ちが強い」と性格面を買った。小学生時代に捕手の経験はあるが、今は基礎から鍛える。スローイング、ボールストップの練習は長い時は2時間以上。配球については吉田と話し合う。

浦和学院では公式戦出場はなかった。くすぶっていた思いを春には発散できないが、夏に注ぐ気持ちはその分強い。「全員で勝てるチームになりたい」。そのために自分を磨く。

芝草監督は「2人の頑張りに下級生がうまくついていけば」と期待する。「早く試合がしたい」。2人にとって夏は帝京長岡のユニホームを着て戦う最初で最後のチャンス。波乱に負けない気持ちの強さをみせる機会と位置付けた。【斎藤慎一郎】

◆転校生の参加資格 高野連の大会参加者資格規定では、転入した日から満1年を経過すれば参加可能になる。なお、学区制の変更、学校の統廃合、一家転住など、やむを得ず転入したと高野連の承認を得た場合や、前在籍校で野球部員として登録されていなかった場合は転入した日から参加資格が認められる。

◆吉田行慶(よしだ・ゆきよし)2002年(平14)8月27日生まれ、東京都出身。美しが丘小(横浜)1年から野球を始め、美しが丘中では少年硬式野球の都筑中央ボーイズ(横浜)に所属し、投手。帝京に入学し、19年4月に帝京長岡に転校。父は元ロッテ投手の吉田篤史氏。175センチ、75キロ。右投げ右打ち。

◆西村俊亮(にしむら・しゅんすけ)2002年(平14)10月29日生まれ、埼玉県出身。芝中央小(埼玉・川口)では軟式野球。芝中で少年硬式野球の川口シニアに所属し、二塁手で3年春に全国大会に出場。浦和学院に入学し、18年12月に帝京長岡に転校。好きなプロ選手は日本ハム近藤健介。173センチ、76キロ。右投げ左打ち。