20度目の夏甲子園を目指す樟南は5-2でれいめいを下し、16年以来の決勝進出。実家がお寺の最速145キロ左腕、西田恒河(ごうが)投手(3年)が、9安打されながら最後まで“精神集中”を切らさず2失点完投で貢献した。

樟南の“一休さん”こと西田が浄土真宗の実家、善妙寺で培った“集中力”で16年以来の決勝に導いた。

恒河(ごうが)という名前には、仏教に携わるだけに「インドのガンジス河が由来。(インドは)この河がないと生きていけない」という思いが込められている。壮大な名のごとく、175センチの体を躍動させ2失点完投で貢献だ。

130キロ台の直球を主体に得意のカットボールなど多彩な変化球を交えて相手打線を翻弄(ほんろう)。前半からテンポよく投げ7回まで3安打無失点と力投した。特に7回2死二塁の場面。宮之城中野球部でチームメートだった9番・土屋兼紳内野手(3年)に対し「三振で抑えたかった」と渾身(こんしん)の直球で空振り三振に仕留め、雄たけびを上げた。

直球が高めに浮き始め制球に苦しんだ8回。適時三塁打など4安打を浴び2失点。それでも、最後まで集中力を切らさず139球で投げ抜いた。夏の前哨戦、5月の県選抜大会準々決勝で、この日決勝進出を決めた鹿児島実に延長13回タイブレークで敗れた。「置きに行った球を暴投し自分のせいで負けた」という反省を生かし、今夏は腕を振ることを意識づけた。

発奮材料もある。センバツ準優勝の明豊、太田虎次朗投手(3年)とは同じ宮之城中野球部で、当時は西田がエースで太田は2番手。センバツで投げる姿をうらやましく思ったという。23日夜、大分決勝に進んだ太田と電話で話し「今度はお前の番。頑張れよ」と激励された。太田と甲子園で戦う夢もあり、決勝でも精神を落ち着かせ、勝利をつかむ。【菊川光一】

◆西田恒河(にしだ・ごうが)2003年(平15)5月10日、鹿児島・旧宮之城町(現さつま町)生まれ。野球は盈進小1年から宮之城野球スポーツ少年団で始める。宮之城中3年時に九州大会出場。樟南では1年秋からエース。6月に最速145キロを記録。変化球はカットボール、チェンジアップ、スライダー、カーブ、ツーシーム、スプリット。左投げ左打ち。175センチ、76キロ。