智弁和歌山を21年ぶり3度目の頂点に導いたのは、同校OBで元阪神、楽天、巨人の中谷仁監督(42)だった。

18年8月に監督就任し、前任の高嶋仁名誉監督(75)から名門校を引き継いだ。元プロ野球選手が葛藤して監督就任を受諾し、覚悟を決めて進み続けた3年間。苦悩の日々を乗り越え、伝統と革新を融合。中谷イズムが結実しての全国制覇だった。

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かつて遠かった甲子園が最高の晴れ舞台になった。智弁和歌山の中谷監督は喜ぶナインを見て、小さくガッツポーズした。就任3年目で初の全国制覇だ。阪神の97年ドラフト1位捕手が1軍でわずか7試合しか立てなかった黒土の上で、母校を率いて仁王立ちした。

「めちゃくちゃうれしかった。1つ、大きな壁だった(今秋ドラフト候補で市和歌山)小園君を越えられた。(今大会)1戦1戦、小園君に比べたら何とかなる気持ちを持って戦えた」

最初は葛藤があった。18年の監督就任前、引き受けるか迷った。「結果が出なければたたかれる。家族との時間もなくなる」。最後は腹をくくった。「選手たちが毎日努力して成長していくことに携われるのは非常に幸せ」。阪神では目の負傷で引退危機に陥ったが楽天で奮闘。プロだった男は不退転の思いがある。

「覚悟は決めています。日本一になるまでは休みは取りません」。休日でも、選手の姿が脳裏をよぎる。雑音を封印するためスマートフォンでニュースを見なくなった。高校野球のチーム作りに専心。名将に頭を下げて、教えを請うた。知人を介してセンバツ2度優勝の広陵(広島)・中井哲之監督(59)と会う機会があった。広陵はOBを含め、全国でもまとまりのある名門だ。人が集まり続ける理由を知りたかった。中井監督は「あるがままの本心でぶつかる。誠心誠意、選手のために一生懸命やれば必ず分かるときが来る」と言う。愛情がチーム作りの根幹だと気づかされた。

プロで大成せず「一心不乱にバットを振ったり、トレーニングをしなくて楽な方に逃げてしまった自分もいた」と話す。さらけ出す失敗は教訓だ。うれしいこともある。20年卒業の黒川史陽内野手(現楽天)に「同級生みたいなものです」と言われた。ナインの監督評だった。夜まで練習に付き添った。同じ目線で真心を注いで、今がある。

4試合連続2桁安打の猛打を「高嶋先生からの伝統で、7カ所打撃がある。個人が振る量を確保した練習を継承しています」と分析した。速球に強い豪打は健在だ。高嶋名誉監督から継いだ伝統と中谷イズムの革新を重ね、不屈の魂で頂点に立った。【酒井俊作】

◆中谷仁(なかたに・じん)1979年(昭54)5月5日、和歌山県生まれ。智弁和歌山では2年時の96年センバツで準優勝。97年は主将を務め、同校初の夏の甲子園優勝。同年ドラフト1位で阪神に入団し、楽天、巨人でもプレー。現役時代は捕手で通算111試合に出場して打率1割6分2厘、4本塁打、17打点。17年春に智弁和歌山のコーチになり、18年8月に監督に就任し、翌19年にセンバツ8強、夏は16強に導いた。甲子園通算成績は9勝2敗(不戦勝含む)。

 

◆智弁和歌山が夏3度目V 夏の3度優勝は龍谷大平安に並ぶ歴代6位タイ(最多は中京大中京の7度)。春夏通算4度Vは歴代9位タイとなり、和歌山県勢では最多回数の箕島(春3、夏1)に並んだ。

◆近畿勢3連覇 18年大阪桐蔭、19年履正社に次ぎ(昨年は中止)、近畿勢が3大会連続V。近畿勢の3連覇は85年PL学園、86年天理、87年PL学園以来。日大三が制した11年以降の10大会は、関東勢と近畿勢が5度ずつ優勝している。

◆都道府県別V回数 和歌山県勢の夏優勝は00年智弁和歌山以来8度目。夏の8度は都道府県別で愛知県に並ぶ歴代2位。春夏通算13度は歴代4位の兵庫県に並んだ。

▽中日岡田(母校・智弁和歌山の優勝に) 優勝おめでとうございます。姉妹校で甲子園決勝戦をできることはうれしく思います。このような状況でいろいろなことがあり、出場辞退したチームがある中、この甲子園大会を開催してくれた関係者の皆様に感謝し、今後の人生に生かしてもらいたいです。

▽楽天黒川(智弁和歌山19年度卒。5季連続で甲子園出場)智弁対決でも、はっきりと見分けがついていましたし、和歌山をしっかり応援していました。高嶋先生の下で1年半、中谷監督の下で1年やらさせていただき、自分の財産になっていますし、智弁で野球ができたことを誇りに思います。自分も後輩たちに負けないよう“智弁魂”で頑張ります。

▽広島林(19年卒業) おめでとうございます。コロナ禍や天候の影響がある中で、本当に大変だったと思いますが、後輩たちの戦う姿勢、全力プレーを見て、僕自身もすごく刺激をもらいました。