天国の名将に単独での雄姿を届ける。第74回秋季全道高校野球小樽、空知、十勝地区予選の組み合わせが1日、決まった。空知地区で18年夏以来3年ぶり単独出場の砂川は、栗山と対戦する。04年に砂川北と砂川(旧砂川南)が統合。練習は、今でも旧砂川北グラウンドで続ける。砂川北を甲子園に3度導いた佐藤茂富元監督(享年79)が19年8月に旅立って以降、初の単独参戦で、17年夏以来4年ぶりの1勝を狙う。

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砂川が、多くの甲子園球児を育ててきたグラウンドから、復権への一歩を踏み出す。春夏は部員5人で月形、夕張との連合参戦。夏の地区予選後に1年生1人が入部し、さらに秋は助っ人6人を集め、計12人での単独参戦が可能になった。主将の吉田凌一捕手(2年)は「不安はあるが全力を出し切り、何とか1勝できたら」と意気込んだ。

今春、北海道教大岩見沢野球部出身の丹羽智哉監督(28)、苫小牧駒大野球部出身の尾山真悟部長(31)が赴任した。岩見沢東の投手だった丹羽監督は、2年夏の代表決定戦で延長15回の末、砂川に敗れ北大会を逃した経験があり「もう1度、強い砂川にしたかった」と、春に自分のクラスの1年生2人を勧誘。当初は来春の単独出場を見据えていたが、吉田や本間魁斗投手(2年)が他部所属の2年生に声をかけ、半年早く念願かなった。

04年に甲子園3度出場の旧砂川北を統合。練習は当時の砂川北グラウンド、雨天時は人工芝が敷き詰められた同室内練習場を使う。丹羽監督は「こんなに素晴らしい環境があるのに、春きてみたら部員3人。これじゃいけないと思った」。最初はグラウンドの内外野に伸びていた雑草刈りから始め、単独出場への素地を作っていった。

19年8月、砂川北を強豪に育てた名将、佐藤元監督が天国へ旅立った。岩見沢東の後輩でもある丹羽監督は当時、霧多布に赴任しており葬儀には参列できなかったが、野球部OBとして供花代に弔意を込めた。「すごい指導者がここにいた。当時の砂川北には、遠く及ばないですが、少しずつ盛り上げて部員も増やしていけたら」と思い描いた。

佐藤元監督が亡くなってから初の単独参戦。本間は「砂川北OBの方も声をかけてくれる。恥ずかしい試合はできない」。助っ人の小田嶋星桜(2年)は「伝統ある野球部の力になれて光栄」。一時代を築いた偉大な先輩たちの思いを受け継いでいく。【永野高輔】