高校野球球史に残る大敗にも、わせがく(千葉)のナインたちは、さわやかに戦い抜いた。千葉学芸に県大会記録7つを塗り替えられる猛打を浴び、0-82で5回コールド負けした。通信制の高校で、野球部員14名(うち2人は欠場)は全員が他の部活との掛け持ちで練習は週に1日。昨秋、今春の県大会は部員が集まらず不出場も、夏は助っ人部員を集め単独出場を果たした。地方大会史上2番目の失点を喫したが、それぞれが、今できる力を発揮し、完全燃焼の夏だった。

最後まであきらめずに戦った。「何点取られても、野球って楽しいから!」。4回、吉橋秀侑内野手(3年)が大きな声をあげた。初回に32点、2回に33点…。それでも初回途中で捕手からマウンドに上がった前田陽亮主将(3年)はニッコリほほ笑んで「楽しもうぜ!」と答えた。

体力は限界だった。30度を超える猛暑の中、守備時間が長引いた。2回1死。二塁の守備についていた田中里空内野手(1年)が体調不良を訴えベンチに戻った。熱中症を危惧し、試合続行を迷った田村勇樹監督(28)は審判に「12人の選手をもう全員使い交代する選手がいません。熱中症は命に関わるので難しいです」と直訴した。5分の水分補給の時間を提案され、異例の給水時間がとられた。

自分の体調不良で3年生の夏を終わらせたくないー。苦痛の表情の田中に「お前のせいじゃないから」と選手たちが声をかけた。「まだ試合をしたいです」と田中が笑顔で立ち上がると、チームに笑顔が戻った。「よし、頑張ろう!」。元気にグラウンドへ駆けだすナインに田村監督は「よく気持ちが折れなかったですね」と胸が熱くなった。

通信制の高校で、不登校を含めいろいろな事情を持つ生徒が多い中「野球が好きだから」と集まった。練習試合は大会直前の6月28日に1試合のみ。前田は「100点、取られちゃうかと思いました」と笑った。千葉学芸打線に「みんな4番打者のようでした(笑い)。もう何を投げても打たれるんだから、あれこれ考えず、とにかく投げることしか考えていませんでした」。変化球が入らず、真っすぐだけで勝負した。

82得点だけでなく、51安打、17本塁打と県大会記録を何個も更新された。だが前を向き、重ねた15個のアウトも勲章だ。「今後も何かがあったら全力で取り組めると思う。一番はあきらめないことです」。負けても得ることがある。わせがくの選手たちは、3時間13分の試合時間で、かけがえのないものを手に入れた。「多分、一生忘れないです」。前田はニッコリ笑った。【保坂淑子】

◆わせがく 2003年(平15)創立の私立校。大学受験の名門「早稲田予備校」を運営する早稲田学園により設立された広域通信制。野球部は04年創部で05年に千葉県高野連に加盟。最高成績は06年夏の県大会で2回戦に進出した。所在地は香取郡多古町飯笹向台252の2。守谷たつみ校長。

◆夏の地方大会での高得点試合 98年青森大会の東奥義塾122-0深浦が最多。千葉学芸の82得点は2番目に多かった。東奥義塾は当時、青森大会のコールド規定が7回7点差だったため7回まで攻撃。86安打、7本塁打、33四死球、78盗塁を記録し、11打数連続安打で16打数14安打12打点の4番珍田ら5人がサイクル安打を達成。深浦は無安打だった。翌99年からコールド規定に5回15点差が加えられた。