今夏限りで勇退する筑陽学園・江口祐司監督(59)はラスト采配となった。九州国際大付に0-1で惜敗。過去に広島長野や日本ハム谷川らを育て、西日本短大付のコーチ時代にはBIGBOSSこと日本ハム新庄剛志監督(50)を指導した。「負けたのはサインを出した私の責任です」。ナインとの最後のミーティングでは、数滴の涙をこぼした。

忘れもしない89年7月31日。西日本短大付のコーチだった時に、決勝で福岡大大濠に競り負けた。「あれは新庄がいた時だった。(相手が)マウンド上で喜ぶ姿しか見てなかった。でも自軍のベンチを見ると、泣き崩れている生徒が見えた。絶対に決勝で負けるようなチームを作ってはダメだなと。だから日頃から厳しく指導してきたつもりです」。

そして熊本の城北では2度、筑陽学園では3度の甲子園に導いてきた。「最後こういう形になったのは、なにか私に足りないものがあったのかなと思います」。

今夏は逆転に次ぐ逆転で決勝まで勝ち上がった。最速145キロでプロ注目のエース、木口永翔投手(3年)は900球近くを投げぬいた。3回戦の沖学園戦では、右足をつりながら完封。打席では凡打のあとに一塁にたどり着けず、倒れ込んだこともあった。それでも続投したのは「江口監督の最後は甲子園に連れていきたかった」からだと言う。

指揮官は「木口も含めて、全ていっぱいいっぱいだったと思います」と振り返った。3年生部員のほとんどは担任の生徒。「あとは教室で」と優しくほほ笑み、ユニホームを脱いだ。【只松憲】