第104回全国高校野球選手権を仙台育英(宮城)が制し、東北勢の悲願だった深紅の大優勝旗の「白河の関越え」がついに実現した。春夏通じて「13度目の正直」でようやくたどり着いた“日本一”。日刊スポーツが東北の地に支社、支局を置いて30年あまり。東北6県の球児の活躍を追ってきた多くの高校野球担当記者にとっても今回の偉業にはさまざまな思いがあった。そこで、日刊スポーツ東北版では「白河の関越え 思いを馳せる」と題したコラムをスタート。東北に駐在した歴代の記者に日本一への賛辞や今の思い、取材当時の思い出などをつづってもらった。

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「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。01年センバツの取材。仙台育英・佐々木順一朗前監督(現福島・学法石川監督)に座右の銘を聞いた。「良いときがあれば悪いときもある。その心備えをする」。左腕の好投手、芳賀崇を中心に走攻守バランスの取れたチームと喜怒哀楽をともにした。

センバツは投打がかみ合い、快進撃を続けたが、決勝で常総学院(茨城)に6-7で敗れ準優勝。続く夏。宮城県大会決勝で芳賀と東北・高井雄平(現楽天打撃コーチ)との息づまる投手戦を制し連続出場。だが、宜野座(沖縄)に初戦で敗れた。

あれから21年。紆余(うよ)曲折を経て、ついに悲願の全国制覇まで到達した。私は記者の立場を離れて久しいが、野球というスポーツ、引いては人生や社会情勢を考える時、いつも「塞翁が馬」が頭をよぎる。

「大旗圏突入」。01年春準優勝後の連載タイトルとしてつたない検証記事を書いた。陳腐な質問、表現に手厳しい佐々木前監督から「うまいタイトルだね」と認めてもらった。「雪国のハンディ」という枕ことばは使われなくなり、選手、指導者、設備ともにレベルが格段に上がっていった。

以降も東北勢は甲子園の決勝に勝ち進み、頂点にあと1歩まで迫った。今大会は東北勢5校が初戦を突破。準決勝は、聖光学院(福島)との“みちのく対決”となった。思えば「白河の関越え」という言葉や意識が一番の足かせになっていたように感じる。ずっと「白河の関越え」を意識してきたもどかしさを、東北6県の力で見事に突破してくれた。

須江航監督は、01年チームのマネジャーだった。多感な17、18歳にして選手としての大望を切り替え、監督の分身としての役割を担った。分刻みの練習の管理をはじめ、マスコミ対応まで大人顔負けの仕事ぶりに内心舌を巻いていた。帽子の裏側には先代の主将から託された「夢の土台」の文字があった。準優勝の快挙と引き換えに、モチベーションを保つ難しい立場に腐心していた。

18年から母校の監督を受け継ぎ、個が突出することなく、ベンチメンバーも控え部員も一体となって大会を戦い抜いた。優勝インタビューではスタンドに目をやり、全部員をねぎらい、東北に全国の高校生に思いをはせた。「日本一の競争力」に情熱を傾け、研さんを重ねてきた須江監督と全部員に最大限の敬意を表し、心から拍手を送りたい。

栄光の後には厳しい場面もきっと訪れるだろう。東北6県が切磋琢磨(せっさたくま)し、野球王国へと発展していくことを楽しみにしている。仙台育英、東北6県の高校野球関係者の皆さま、おめでとうございます!【00~03年東北支社、新島剛】

◆人間万事塞翁(さいおう)が馬 一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。