悲願の優勝旗「白河の関越え」達成を記念し、日刊スポーツの東北支社、支局に駐在した歴代の高校野球担当記者がさまざまな思いを語る「白河の関越え 思いを馳せる」第3回は、16年から3度の夏の甲子園を取材した高橋洋平記者です。

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元東北総局員として、東北勢初の「白河越え」に感慨もひとしおだった。だが一方で、自分が取材した16年から3度の夏の甲子園を想起しながら、須江航監督(39)率いる仙台育英(宮城)が優勝できた理由、今までの東北勢が優勝できなかった理由を探る必要にも迫られた。

取材したその年それぞれに、東北勢には勝敗を超越した「ドラマ性」があった。16年は、八戸学院光星(青森)が2回戦で東邦(愛知)に4点リードから逆転負け。甲子園全体がタオルを回し、異常なアウェー感に包まれた。試合後、目を赤くはらした光星のエース桜井一樹がしぼり出すように語った「甲子園全体が敵なんだと思った」という言葉は今でも忘れられない。

17年は、仙台育英が3回戦で大阪桐蔭に相手一塁手のベース踏みそこねから劇的な逆転サヨナラ勝ち。育英スタンドから沸き起こる魔曲「スンジョン」に乗り、春夏連覇を狙った大阪桐蔭をのみこんだ。18年は金足農(秋田)吉田輝星投手(現日本ハム)に尽きる。第100回大会の決勝で3年生9人の雑草軍団がエリート軍団の大阪桐蔭と激突するなんて、大会前に予想する人は誰もいなかった。

今大会の仙台育英を直接取材してないからこそ思った率直な感想が、試合展開に限っていえば「ドラマ性の欠如」だった。球速140キロ以上の投手5人による盤石な試合運びに、良い意味で「ハラハラドキドキ」を感じなかった。そこに須江監督が目指したチームづくりの狙いがあったのではないか。

15年夏、秀光中の全日本中学選手権準優勝から18年秋まで取材した中で「野球というスポーツのゲーム性を理解して」という言葉が今でも印象に残っている。野球を「ゲーム」として緻“密”に突き詰めようとしている須江監督以外からは当然、聞いたことがない。「野球は無死一塁からアウトと引き換えに走者を進めても、点が入らないゲーム。塁をまたぐか、アウトと引き換えないで進塁しないといけない。だから長打力と走塁力が必要なんです」と当時から力説していた。

球数制限が導入された20年春のセンバツ以降、甲子園という「ゲーム」を勝ち抜くためには、今まで以上の複数投手育成がカギと認識したはずだ。秀光中時代から確立していた投手育成のノウハウを駆使し、東北随一の戦力を全国屈指の投手陣に育て上げた手腕はさすがだった。

今までの東北勢は「ドラマ性」に富む野球だったから勝てなかった、と言えるかもしれない。一方、今年の育英には「ドラマ性」という名の不確定要素が入り込む余地がないほど、野球が完成されていた。だからこそ優勝し、「白河越え」という新たな「ドラマ」を生むことができた。須江監督に再会したら、そんな仮説をぶつけてみたい。【15~18年東北総局、高橋洋平】