悲願の優勝旗「白河の関越え」達成を記念し、日刊スポーツの東北支社、支局に駐在した歴代の高校野球担当記者がさまざまな思いを語る「白河の関越え 思いを馳せる」第8回は17~20年、東北総局在籍の鎌田直秀記者です。

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「深紅の大優勝旗、白河の関を越えるかな?」。4年前に金足農(秋田)吉田輝星投手(現日本ハム)に聞いていた。18年7月15日、夏の秋田大会初戦で自身初の150キロをマークした試合後。こまちスタジアム最上席で仲間たちと弁当を口いっぱいにほおばる最中だった。

吉田は「白河の関…?」と、正直、「悲願の白河の関越え=東北勢初優勝」を認識していないような表情だった。食べる途中の弁当のふたを閉めて続けた。「白河ですよね。100回記念大会でついに東北にとなったらすごい。今は甲子園に行くことしか考えてない。でも、もし東北の学校が優勝したら、どこだとしても東北全体で喜んでくれるんじゃないんですかね」。ユニホーム姿の吉田は座っていた通路側の席から2つ内側に移動。「どうぞ座ってください」。尻についた土で汚れた私が座ろうとしたイスを自分のタオルで拭いた。染み込んだ汗でさらに汚れて苦笑いする吉田に、食事も続けるよう伝えた。「マネジャー、お茶ちょうだい」。おかわりか-と思った私に「どうぞ飲んでください」と差し出した。第1回大会で秋田中(現秋田高)が準優勝だったこと、春夏通算で11度も東北勢が決勝で敗れてきたことなどの雑談に加え、侍ジャパンや将来の夢も聞いて取材を終えた。「フフッ、オレたちっすかね」。別れ際に目を輝かせ、ニコッと笑った。

甲子園決勝で大阪桐蔭相手に力尽きた。「白河」を越えられない理由の1つとして、「気が優しい」「純朴」「情に厚い」など、人としての魅力とは裏腹に、勝負事での弱みにつながる指摘の声も多かった。だが、吉田に限らず、負けず嫌いで、広い視野を持って気配りもでき、結束力も強い数多くの「東北人」に触れてきた。前述の理由は否定したい。

100回大会後、盛岡大付(岩手)関口清治監督との会話も、東北球界の素直な声だと思っている。「カナノウも頑張ってほしかったけれど、決勝だけは正直、心のどこかで大阪桐蔭を応援してしまった。自分、まだまだ人間が小さいなあ」。東北6県の垣根を越えた結束で強化に努めてきた一方、「自分たちが最初に」は、誰しもが抱く本音だったのではないか。

4年がたった。関口監督は「今回は大阪桐蔭、智弁和歌山が次々と敗れ、(東北勢が)優勝するなと思った。仙台育英と聖光学院の決勝だったら一番良かったけれど」と振り返った。悔しさは当然あるが、誇りもあった。「育英は優勝メンバーに2年生が多いので手ごわいですが、日本一になる身近な指標ができたことは、すごく大きいこと。『次は自分たちが』という気持ちが大きくなっています。負けられません」。東北初優勝を表現する大人やマスコミの造語「白河越え」には関係なく、高校球児は2年半の短い期間を「日本一になりたい」と完全燃焼する。先を越されてしまった各校にも、仙台育英の偉業は自信や活力となった。東北勢夏春連覇はオレたちが-と。【17~20年東北担当・鎌田直秀】