連合チームの公式戦をしっかり見たのは初めてです。評論のお話をいただいた時、公立校、連合チームの現状をこの目で確かめたいと思っていました。
都立校に苦しめられつつ、主に私立強豪校としのぎを削ってきたのが、私の高校野球でした。一方で、部員数にも苦しむ都立などの公立校はどんな野球をするのか、そんな思いでした。
大島・大島海洋国際の連合チーム(以下、連合チーム)は部員10人です。他部から助っ人を頼み、何とか出場にこぎつけた印象です。一塁手の石垣君(釣り部)は、岩倉の強烈なゴロに体で止めに行きます。はじいたボールはグラウンドを転々とします。思いました。「野球部でもないのにあの強い打球を避けない。普通なら逃げちゃうと思うのに逃げない。すごいな」。
連合チーム側の応援席も思いは同じに感じました。点差は離れていく中で「あ~あ」のため息はありません。聞こえるのは、鼓舞する拍手だけです。
打球は止められない、得点も防げない、それでも、今この瞬間に何とかしようと一生懸命な姿に、ただ声援を送る。弱いから応援する、連合だから励ます、そんな表面的な感情とは違う、もっと前向きで真剣な空気に感じました。
日大三を率いて毎夏、甲子園を目指して戦いました。しかし、連合チームはその前に「大会に出たい。グラウンドでボールを追いたいんだ」という思いがあるんだと。それを私は忘れていました。人数が少ない中で懸命に競う姿に、まず高校野球に参加する強い意志を見ました。
私の想像です。助っ人の力を借りて戦う姿に「学校でもいい仲間なんだろうな」と。野球部の窮状を知るから、力を貸した他部の仲間と、野球部の交流の深さを感じました。
私は大島野球部で監督をされていた故樋口秀司先生に大変お世話になりました。日大三の学生コーチの時に、大島の野球部が遠征で三高を訪れた際、バントを教えたこともあります。
関東第一では甲子園に初出場する半年前の84年秋、同校の文化祭に合わせた招待試合で大島で試合もしています。
都立として甲子園を目指して来た樋口先生の思いを継ぎ、こうして江戸川区球場にやってきて、堂々と全力プレーをやり抜いた連合チームの動きに、私はずっと目を奪われていました。(日刊スポーツ評論家)

