天理(奈良)を17年夏と21年春の甲子園大会でともに4強に導いた中村良二監督(55)が12月末で退任することが23日、分かった。15年の就任から8年がたち、一区切りをつけることになった。後任は未定となっている。

中村監督は天理OBで、86年夏は主将、主砲として奈良県勢初の全国制覇。同年ドラフト2位で近鉄入り。プロ3年目の89年は主に代打で仰木近鉄のリーグ制覇に貢献した。96年オフに近鉄を戦力外になり、97年は阪神でプロ生活最後のシーズンを送り、現役を引退した。

その後は9年間にわたって少年野球を指導し、社会人の大和高田クラブ、日本新薬のコーチを経て、08年8月に天理大硬式野球部の監督に就任。阪神大学野球リーグの2部に低迷していたチームを1部に引き上げ、13年には1部優勝で全日本大学野球選手権にも出場し、14年ぶりの勝利を挙げた。14年2月に、恩師の橋本武徳監督を補佐するコーチとして天理に復帰。橋本監督の退任により、15年8月に監督に就いた。

監督在任中は17年夏の甲子園で27年ぶりの全国4強に導き、強豪復活を印象づけた。18年太田椋(オリックス)、21年達孝太(日本ハム)と、2人のドラフト1位を育て上げた。

もともと教員志望で、試合に勝つことだけではなく、自覚と責任を持った人材の育成に力を注いだ。県予選のベンチ入りメンバーは全員、選手間投票で決定。選手としての能力、技術以上に、周囲から認められる人間性を重視した。「人生が豊かになるから」という理由で、広い視野を持つことを教え子に求めた。

22年夏の奈良大会決勝での「友情」は語り草。相手の生駒がコロナ禍で登録メンバーを大幅に入れ替える窮状を知ったが、中村監督は「手を抜く方が失礼。全力で戦え」と指示した。試合には圧勝したが、主将の戸井零士(阪神)の提案でナインは喜びの行動を自粛し、相手を気遣った。試合後、中村監督は3年生による再試合を提案し、後に実現。監督、選手ともに相手を思いやる行動を取った。

人生で感銘を受けた言葉は、徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩が家訓とした「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」。人と人との縁を生かしていくことの大事を説く言葉だ。多くの良縁に支えられて成長し、野球を通じて人生を豊かにすることに重きを置いて選手を導いてきた指導者が、ユニホームを脱ぐ。

◆中村良二(なかむら・りょうじ)1968年(昭43)6月19日生まれ、福岡県出身。86年夏、天理の主将として同校初の全国制覇。同年ドラフト2位で近鉄入団。阪神に移籍した97年で引退。通算41試合、打率9分8厘、4打点。08年に天理大の監督に就任。14年から天理コーチ、15年8月から監督。17年夏に監督として甲子園初出場で4強入り。21年春も4強に進出。主な教え子にオリックス太田椋、日本ハム達孝太ら。