PLの火を消すな! 活動休止中のPL学園(大阪)硬式野球部のOB会の懇親会が6日、大阪市のホテルに63人を集めて開催された。

名門野球部復活を強く願う桑田真澄OB会長(55=巨人2軍監督)は前日5日、自ら大阪・富田林市のPL教団本庁を訪れて幹部と直接会談。20年12月以降不在の4代目教主(おしえおや=教祖)が誕生すれば、野球部復活の道が開ける可能性があるという幹部の証言をOBたちに伝えた。

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かつて甲子園を熱狂させたPL戦士63人が、大阪市内のホテルで一堂に会した。桑田OB会長はグレーのジャケット姿で登壇。懇親会のあいさつで「PL教団との話し合いについて、ご報告をさせていただきます」と切り出した。野球部は部員の不祥事などに端を発し、16年夏を最後に活動を休止中。その復活を強く願う心が桑田会長の体を突き動かした。野球部はどうなっているのか? 前日5日、自ら富田林市のPL教団本庁に出向き、幹部と会談したことを明かした。

「教団の理事長先生とお話をしてきました。PLの現状について、週刊誌でもいろんなうわさが流れていまして、心配事もあって、いろんな質問をさせてもらいました」

幹部からは「(野球部の)復活を願っている」と伝えられたという。また「(復活へ)水面下でいろんな計画をしています」とした上で、「計画が実行できるのは、4代目の教主(おしえおや=教祖)が現れてからというお話をいただきました」と明かした。PL教団は3代目教主の御木貴日止(みき・たかひと)氏が20年12月5日に亡くなった後、トップ不在が続いている。桑田会長は「4代目の教主様が決まってからすべてが動くという話。(教主は)現れると思う。今は耐える時期」としつつ、「ただ指くわえて待つだけではなく、できることはやっていきたい」と復活活動を継続する意欲を示した。

経営的も、生徒数の減少が与える影響は少なくない。受験資格がPL教団の会員子弟に限られていることもあり、その数は年々右肩下がり。現在の高校の生徒数は50人前後だという。昨年春には1年生が硬式野球の活動を熱望し、9年ぶりに“新入部員”が加入。現在も1人で練習を続けているという。練習場を視察した桑田会長は「少し練習している形跡は残っていましたね。ただ1人では何もできないのでチームスポーツなのでね」と思案顔だ。

桑田会長は19年から同職に就いて5年が経過。「今のところ(希望者が)いないんで、継続して」と続投を表明した。OB総会は昨年を最後に休会したが、懇親会は継続して実施していく予定。あいさつの最後には「同期や先輩後輩に声をかけていただき、1人でも多くのOBの方が、集まれるようにご協力をよろしくお願いいたします」と呼びかけた。名門復活への旗振り役として、全力投球を続ける。【古財稜明】

▽主な出席者 片岡篤史(中日ヘッドコーチ)、宮本慎也(元ヤクルト、日刊スポーツ評論家)、加藤正樹(元近鉄、追手門学院大監督)、藤原弘介(佐久長聖監督)

◆PL学園硬式野球部 1956年(昭31)に創部され、62年センバツで甲子園初出場。同年夏も出場した。徐々に頭角を現し、70年、76年夏は全国準優勝。初優勝は西田真二-木戸克彦がバッテリーを組んだ78年夏。準決勝、決勝と劇的なサヨナラ勝ちを決め、「逆転のPL」の異名を取った。81、82年にセンバツ連覇、83年夏は桑田真澄、清原和博の1年生コンビの活躍で優勝。85年夏も頂点を極めKKブームを巻き起こした。立浪和義主将が率いた87年は春夏連覇するなどセンバツは20度、夏は17度出場して、春3度、夏4度の優勝を誇る。部員間暴力など不祥事に端を発し、16年夏の大阪大会を最後に活動休止。主なOBは加藤英司、片岡篤史、宮本慎也、今岡真訪、松井稼頭央、福留孝介、平石洋介、今江敏晃。現役はタイガース前田健太、オリックス中川圭太の2人だけ。