今春センバツに出場した青森山田と八戸学院光星は、青森県勢として史上初の2校初戦突破を果たした。タイブレークでの逆転勝利や150球を超える力投など、青森を盛り上げた2校。日刊スポーツ東北版では「みちのく勢 センバツマル秘ストーリー」と題し、語られなかった涙や努力、笑顔を全3回でお届けします。第1回は八戸学院光星の最速140キロサイド左腕・森田智晴投手(3年)です。【取材・構成=濱本神威】

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“特別な人間”になりたかった-。左腕3本柱の一角を担う森田はこの春、登板がなかった。初戦の関東第一(東京)戦は、エース左腕の洗平比呂投手(3年)が先発。9回156球の熱投を見せ、試合を延長タイブレークに持ち込んだ。2番手は背番号10の岡本琉奨(るい)投手(3年)が担い、ピンチを乗り切る力投。2投手の好投でチームは勝利をつかんだ。

大舞台で堂々と投げるチームメートの姿は“特別な人間”に見えた。「何をするにも、取材とかも全部最初に岡本、砂子田(陽士)、洗平。やはり違うんだなって感じます」。昨夏の甲子園を経験したチームメートは取材に引っ張りだこ。普段から甲子園を経験している者とそうでない者の違いを感じていた。初戦の投球を見て、その思いは増した。「素直にすごい」。悔しさよりも尊敬が勝った。

初戦で156球を投げた洗平の疲労、岡本も重圧のかかる延長タイブレークで登板していたため、森田が2回戦で登板する可能性は高かった。雨天による2日順延があり、2回戦の星稜(石川)戦では休養を取れた洗平が再び先発した。だが先頭打者へ四球、その後連打を浴びるなど2失点。不安定な立ち上がりに、仲井宗基監督(53)から「肩を作っとけ」と森田は言われ、初回からブルペンに入った。「その後は『先頭出たら行くぞ』と言われていた。その準備をしていました」。4、5回にもブルペンに入り肩を温めた。

2-2で迎えた6回。登板チャンスが巡ってきたが逃した。相手先頭打者が左前安打で出塁。監督の話していた継投機会だった。森田はベンチにいた。「その時に自分が準備できてなかった。グラウンドコートを着ていて…」。先発洗平が続投も、決勝点を奪われて敗れた。「グローブをはめていたら『森田行け』と言われていたところで。準備ができていたらまた変わっていたのかなと思うと、悔しいです」と嘆いた。

夏はもっと貪欲になる。「もっと『今か今か』、『早く投げさせろ』みたいな気持ちが必要。大事なところで監督に頼られる、チームを引っ張って行ける存在になりたい」。夏こそは甲子園のマウンドに立ち、“特別な人間”の資格を得る。

◆森田智晴(もりた・ちはる)2006年(平18)8月17日生まれ。神奈川県横浜市出身。小学2年時に戸塚アイアンボンドスで野球を始め、中学は横浜旭峰ポニーでプレー。昨秋に頭角を現し、昨秋公式戦はチーム最多の25イニングを投げ、防御率0・72。チームのセンバツ出場に大きく貢献した。174センチ、79キロ。左投げ左打ち。