令和にも“奇跡のバックホーム”が生まれた。関東第一(東東京)が神村学園(鹿児島)との準決勝を2-1で制し、夏は初の決勝進出を決めた。
9回2死一、二塁。中前打に対し、関東第一の中堅を守る飛田(ひだ)優悟外野手(3年)が本塁へノーバウンドのストライク送球。タッチアウトで締めた。松山商(愛媛)の奇跡のバックホームがあった96年夏決勝から28年。同じ8月21日にドラマを起こした関東第一が23日、京都国際と決勝でぶつかる。
◇ ◇ ◇
28年前の夏のような神送球が、令和の夏に再び大一番で出た。9回2死一、二塁の守備。一打同点のピンチで、打球が黒土を跳ね、外野の芝へと転がる。関東第一の中堅手の飛田は果敢に前に詰めた。「相手投手がいいので追い付かれたら苦しくなっちゃう。1点を守ろう」。捕球すると目いっぱい、捕手熊谷の構えるミットへ投げ込む。ノーバウンドのストライク返球。判定を待つ一瞬の間のあと、球審のアウトコールで地鳴りのような大歓声が上がった。ナインは跳び上がりながら、整列に全力疾走。全員で守り抜いた。
奇跡のバックホームを演じたヒーローは「引かずに守りの攻めができた」と胸を張った。だが周囲によれば、チームの中では特別守備が得意な方ではないという。送球に悩んでいた時期もあった。
だから捕手の熊谷も虚をつかれた。いつもはワンバウンドだという飛田の返球だったが、勝負の瀬戸際でノーバウンド。捕球後、三塁側に回り込もうとした二塁走者に、勢いよく反時計回りにタッチできた。「今日はノーバンできてちょっとびっくりした部分もあったんですけど、本当に素晴らしい送球だった」と、たたえた。
確かに奇跡だった。だが、その2文字だけで表現するのは安易だ。飛田は苦しんだ時期を越えて「中学まで投手だった。肩よりコントロールに自信がある」と今は言う。1日10~20本の送球練習を、センターからホームへと積み上げた。
伏線もあった。先制点を許した4回。2死二塁から中前打で二塁走者が生還。打球はやや右翼手寄りに転がったため、投げる動作に入りづらかった。試合中、米沢貴光監督(49)から助言があった。「勝負できたんじゃないか。もうちょっと勇気を持って(前に)詰めなさい」。最終回は逆転を意味する一塁走者もいたが、外野陣はやや前進守備を敷いた。指揮官の「打たれたら仕方がない。ここで勝ちきらないと」との姿勢が伝わり「1歩目で前へ飛び出す感じで守れた」と飛田のミラクルを回収した。 前日練習では、米沢監督が「日替わりヒーロー」の台頭を期待していた。この日は飛田。春夏通じて初の日本一へ。日替わりヒーローは、まだ現れる。【佐瀬百合子】
◆松山商の「奇跡のバックホーム」 松山商と熊本工が争った96年夏の決勝(8月21日)で、3-3の延長10回裏、松山商が瀬戸際に追い込まれた1死満塁から右翼へ大飛球を打たれた。タッチアップで熊本工のサヨナラ勝ちと思われたが、代わったばかりの強肩右翼手・矢野がノーバウンドの大返球で本塁へ滑り込んだ熊本工・星子をアウトに。「奇跡のバックホーム」と呼ばれる伝説のプレーとなった。試合は延長11回、松山商が6-3で勝った。

