<神宮大会:慶応8-6天理>◇最終日◇19日◇高校の部決勝◇神宮

 初出場の慶応(関東・神奈川)が、天理(近畿・奈良)を8-6で下し、初優勝を達成した。腰を痛めていたエース白村明弘(2年)が、6回途中から神宮初登板。自己最速タイの146キロをマークするなど、毎回6奪三振の力投を見せた。慶応が全国大会で優勝するのは92年ぶり。慶応の優勝で来春センバツ出場の神宮枠は、関東地区に割り当てられる。

 復活したエース白村を中心に、慶応ナインの歓喜を輪ができた。最後の打者を二ゴロに打ち取り、初出場初優勝を決めた瞬間、白村は感極まった。「自分たちの手で優勝をつかめた。甲子園のマウンドにも、胸を張って登れる…」。涙ぐんで、言葉を詰まらせた。

 白村の神宮初出番は、6回にやってきた。1点差に迫られ2死一塁の場面。5球すべて真っすぐ勝負で三振に仕留めた。7回、味方の失策などで同点とされたが、8回、自らの安打などで8-6と勝ち越す。腰を痛め、痛み止めの薬を飲んでいた。1、2戦とも登板なし。投げたくてうずうずしていた。「ようやく登板でき、自分のヒットが勝ち越しにつながった。アドレナリンが噴き出て痛みを忘れた」と白村。8回に自己最速タイの146キロをマークすると、6回途中から毎回6奪三振で、一気に「秋の高校日本一」を決めた。

 慶応はこの試合、6失策を演じた。だが「エンジョイ・ベースボール」をテーマに掲げる上田誠監督(51)は、ベンチでニコニコ笑っていた。「内容としてはみっともない決勝。でも選手はミスを引きずらず、前を向いて戦った。白村も投げ込み不足でフォームがばらついたが、気持ちで投げきった。考えもしなかった優勝だが、選手のひた向きな姿勢の結果です」とナインをたたえた。

 全国規模の大会で慶応が優勝するのは、前身の慶応普通部(東京代表)が夏の甲子園大会を制した1916年(大正5年)以来。実に92年ぶりになる。「すごいこと。夢のようです」とぼうぜんの指揮官。約1世紀を経て、高校版「陸の王者・慶応」が復活した。【佐々木紘一】