<高校野球福島大会:喜多方8-1相双連合>◇14日◇1回戦

 福島第1原発事故の影響で転校が相次ぎ、部員不足に陥った双葉翔陽、富岡、相馬農の3校による連合チーム「相双連合」が、福島大会1回戦で喜多方に7回コールドで敗れた。富岡から、ただ1人参加した中村公平遊撃手(3年)は、卒業後に福島第1原発で働くことになっていたが、震災で破談になった。7回には唯一の得点となるソロ本塁打を放ち、一矢を報いた。

 原発事故の余波と闘う地元へ、4番中村が感謝のアーチを架けた。無安打でのコールド負け寸前だった7回。内角速球をフルスイングすると、打球は高く舞い上がり風に乗った。ジリジリと下がった左翼手がフェンスにぶつかる。その頭上を越えたのを確認すると、応援席に人さし指を突き上げた。「狙っていた。応援に来てくれた富岡町の方や同級生のために」。笑顔でダイヤモンドを1周した。

 原発から10キロの富岡は、立ち入り禁止の警戒区域にある。同5キロの双葉翔陽、同25キロで緊急時避難準備区域内の相馬農と連合チームを結成。部員は県内に離散し、集合は週1回。5月29日からの合同練習は大会まで計7日間しかなかった。

 中村は人工芝グラウンドなど環境の整った富岡にあこがれ、越境入学した。郡山の実家を出て、富岡町のアパートで1人暮らし。朝5時に起きて新聞配達し、生活費を稼いだ。「富高で野球するためなら苦にならなかった」。だが、最後の夏を前に原発が爆発した。

 実は卒業後、福島第1原発の下請け企業へ就職するはずだった。施設内で保守点検などをする最前線の現場。郡山に戻らず「過ごしやすく、人が温かい富岡に残ろうと思っていた」。その矢先の事故。採用どころではなくなり、自分以外の部員は退部を余儀なくされた。中村も両親に伝えた。「俺も、野球やめるわ」。

 郡山の実家に戻った中村は部屋にこもった。「練習してきたら?」。気遣う母友子さん(53)に、やり場のない怒りをぶつけた。「部員がいねえんだ。できるわけねえだろ!」。5月下旬に相双連合結成の話が舞い込んだが「自分だけ続けていいのか…」。迷ったが「富岡では、普段の練習でも町の人が応援してくれた。学校の名前を残すため1人でも続けよう」と決意。仲間の無念と母校の誇りを胸に、高校最後の試合で公式戦初本塁打を放った。

 1度はあきらめたはずの舞台で、相双連合は躍動した。ユニホームは違っても心はひとつ。1時間46分の短い夏は、この先の長い人生でも、絶対に忘れられない夏になった。【木下淳】