<アジアAAA選手権:スリランカ8-4タイ>◇29日◇予選ラウンド◇横浜

 タイ代表に東北で学ぶ選手がいた。4番青山桃太郎内野手、エース青山光は宮城・聖和学園の3年生。タイで生まれ育ち、同代表監督の父功氏(44)の母国日本で高校の3年間、野球に打ち込んだ。2回戦敗退で終わった宮城大会後の最後の夏、国の代表として誇りを持ってプレーした。試合はスリランカに敗れたが、2人は懸命に白球を追った。

 青山ツインズの夏は、まだ終わっていなかった。「こうして、普通の日本人とは違う経験をさせてもらって感謝してます」と兄桃太郎。甲子園の土は踏めなかった。だが、生まれ育ったタイの代表として、国際舞台に立つことができた。

 父功氏と、母チョンコンニイさん(41)の間に生まれ、タイと日本の両国籍を持つ。タイで野球を続ける選択もあったが、テレビで見た甲子園が頭から離れなかった。「あそこで、もっとレベルの高いところでやりたい」(弟光)。聖和学園の佐藤漸前監督と功氏が知り合いで、姉桃子さん(19)は同校ソフトボール部OG。インターハイ出場経験もあった。そんな縁もあり、日本行きが決まった。

 初めて見る雪。慣れない寮生活。光は「練習量が違う。タイはずっと夏だし、寒さもきつかった」と、何度も音を上げそうになった。東日本大震災の時は、名取市のグラウンドにいた。「タイには地震がないから、本当に怖かった」。4日後に連絡がとれた母は「帰ってきて」と泣いた。が、不自由な中で苦労している先生や同級生を残して帰れるはずがなかった。「逃げるわけにはいかない。みんなと野球をする」。2人でタイの両親に伝えた。

 今夏の宮城大会で背番号15をつけた桃太郎はこの日、失点に絡む2失策。「スキがあった」と悔やんだ。先発した光は、5回0/3を投げ3失点。チームも敗れた。甲子園出場こそならなかったが、かけがえのない3年間だった。将来の夢は、日本とタイの懸け橋になること。「世界で活躍して、野球を発展させたい」。東南アジアから東北へやってきた2人の目は、希望に満ちあふれていた。【今井恵太】

 ◆青山桃太郎、光(あおやま・ももたろう、ひかる)1993年(平5)9月5日、タイ・バンコク生まれ。小3から同国のリトルリーグのバンコクサンダースで野球を始める。中学はバンコク日本人学校に通った。タイ名は、双子の兄桃太郎がKiengkai(キエンカイ)、弟光はKuakun(クワクン)。桃太郎は右投げ右打ちで174センチ、76キロ、光は170センチ、67キロで左投げ左打ち。家族は両親と姉。