地元の期待を背負い、あこがれの舞台に立つ。第84回選抜高校野球(3月21日開幕、甲子園)の出場校が27日、大阪市内で開かれた選抜選考委員会で決定し、石巻工(宮城)が21世紀枠で春夏通じて初の甲子園出場を決めた。昨年3月の東日本大震災では大きな被害を受け、さらに同9月は台風による被害にも見舞われた。ボランティア活動で地元を励まし、昨秋の宮城県大会で準優勝し、初めて東北大会に出場したことが評価された。石巻市の学校としては、48年夏の石巻以来の甲子園出場。東北地区からは4校が選出された。組み合わせ抽選会は3月15日に行われる。

 震災で傷ついた街の思いを石巻工が実現した。午後3時1分。小黒秀紀校長(59)と握手を交わした松本嘉次監督(44)は、黙ったままだった。「言葉が出なかった。皆さまの思いを感じることが出来た瞬間です。この地区の悲願ですから」。数学の授業中だった阿部翔人主将(2年)は、担任から「選ばれたぞ!」という言葉を聞くと、左手でそっと涙をぬぐった。「みんなで『地域のために』と言ってやってきた。うれしい」。あの日からの322日が、走馬灯のようによみがえった。

 諦めない気持ちが、甲子園への道を切り開いた。震災で津波被害を受けたグラウンドは、9月の台風で再び冠水。支援物資のボール300個は、使い物にならなくなった。2度の天災。だが、選手の心は折れなかった。津波で自宅が激しく損壊した阿部主将は「もういい…と思ったけど、2年生が率先してやらないといけない」と前に進んだ。支えは、家族、仲間、地元の後押しだった。

 それは、試合にも表れた。「諦めないと口で言ってたけど本当に諦めなくなった」(松本監督)。秋の公式戦で勝った6試合中4試合が2点差以内。以前なら落としてもおかしくない試合を、ものにしてきた。「(以前は)こんなやつらじゃない。こんなとこで終わっちゃだめだという気持ちがあった」という教え子たちは、たくましかった。

 昨年12月のある日。松本監督からの「奇跡ってあると思うか?」という問いに、誰1人として「はい」と答えなかった。厳しすぎる現実を乗り越えてきたからこそ、出た答えなのかもしれない。奇跡があるなら優勝できた-。そう思えたから、厳しい寒波が襲う冬場の練習にも熱が帯びた。

 石巻高が出場した48年夏は、新制高校になった第1回大会。半世紀以上の時と未曽有の大震災を経て、石巻の球児が再びあの黒土を踏む。阿部主将は「震災枠と思われる部分もあるかもしれないけど、地域の人のためにも精いっぱい頑張りたい」と結んだ。グラウンドには「あきらめない街・石巻!!

 その力に俺たちはなる!!」。石巻工の戦いは、石巻の戦いでもある。【今井恵太】<石巻工の震災後>

 ◆11年3月11日

 東日本大震災発生。野球部員は校舎で一夜を明かす。校舎は約1メートル70センチ、グラウンドは1メートル30センチ、水につかった。

 ◆同13日

 学校を脱出し、避難所や自宅に向かう。

 ◆同22日

 野球部は学校に集合し、翌23日から泥かきを開始。米軍や他校の野球部などが手伝ってくれた。

 ◆4月21日

 グラウンドで練習を再開。

 ◆同26日

 利府(宮城)と震災後初の練習試合を行い、8-10で敗れる。

 ◆同29日

 震災後、自校では初の練習試合を石巻と行う。

 ◆7月22日

 夏の宮城大会4回戦で利府に2-3で敗れる。

 ◆9月21日

 台風15号の影響でグラウンドが再び冠水。復旧に2日を要す。

 ◆同27日

 秋季宮城県大会準決勝で石巻商に3-1で勝利。創部49年目で初の東北大会出場を決める。

 ◆11月16日

 21世紀枠の宮城県推薦校に選出される。

 ◆12月15日

 東北地区推薦校に選出される。

 ◆12年1月27日

 創部49年目で、春夏通じて初の甲子園出場が決定。