第86回選抜高校野球大会の21世紀枠に(3月21日開幕、甲子園)東京の小山台が都立校として初めて出場を決めた。2006年にエレベーター事故で亡くなった当時の野球部員、市川大輔(ひろすけ)さん(享年16)の恩師である福嶋正信監督(58)は、市川さんへの思いを語った。

 記者会見に向かう前、小山台の福嶋監督は右ポケットに写真をしまった。「大輔、一緒に甲子園に行けるぞ」。06年にエレベーター事故で亡くなった市川大輔さん(当時2年)の写真はいつも監督と一緒、眠る時も枕元に置かれている。亡くなった当時、2年生でただ1人レギュラーだった市川さんの願いがついに、かなった。

 教員室の机の上には、07年東東京大会3回戦(対墨田工)のスコアボードの写真が飾られている。5点を追う最終回に6点取り、8-7で大逆転を演じた。奇跡の勝利は、事故直前に大輔さんが購入した金属バットが呼び起こした。

 福嶋監督

 5点目、6点目は大輔のバットだった。バッターは普通に自分のバットを持って打席に向かおうとしていたんだが、慌てて止めに行って大輔のものに替えさせたんだ。

 「赤とんぼ」が市川さんの象徴だ。事故直後の11月の練習試合で、監督の左膝に赤とんぼが止まった。全く飛び立とうとしないそのとんぼに「大輔か?」と問いかけると、指に止まった。それからことあるごとに赤とんぼは小山台を訪れ、いつしかシンボルになった。

 新入部員が入部する時は必ず、市川さんが書き残した野球日誌のコピーを渡す。「大輔を何としても甲子園に連れて行きたいと思ってここまでやってきた。近いうちに報告しに行くよ」。少し涙ぐみながら、監督はほほ笑んだ。【和田美保】<市川大輔さんの母正子さんのコメント>

 甲子園が決まったと知った瞬間、実感が湧きませんでした。仏壇の前で「やったね。本当にうれしいね。思いは実現するんだね」と声を掛けました。息子も泣いていたと思います。私も涙が出ました。たくさんの方から電話があり、皆さん電話口で泣いていました。8年前、レギュラーをいただいた大輔は毎日、朝練に行ってました。(生前)大輔が野球日誌に書いた「1日を大切に」という言葉は家でもよく言っていました。8年近い時間の中、福嶋監督、そして先輩から後輩へ甲子園への思いをつないでくださって感謝です。

 ◆エレベーター事故

 06年6月3日、東京都港区のマンション12階で、同階に住む市川大輔さんがエレベーターを降りようとしたところ、突然上昇。約1時間後に救出されたが、頭の骨を折るなどして死亡した。シンドラー社製のエレベーターは97年に製造。同社を相手取り、遺族が起こした裁判は昨年3月に初公判が開かれた。事故発生から約6年9カ月を経て、刑事責任の審理がようやく始まった。被告は無罪を主張。裁判は長期化が予想される。