<高校野球愛媛大会:小松10-1松山東>◇29日◇決勝◇松山中央公園

 1892年(明25)創部の松山東は、2年生エース亀岡優樹が終盤つかまり甲子園に1歩届かなかった。

 松山東の挑戦は夢と消えた。右手親指を負傷しながら奮闘を続けた2年生エース亀岡優が最後に力尽きた。8回裏1死一、三塁から右前適時打を運ばれ7点目を失った。「最後まで踏ん張りたかった」という亀岡優に、堀内準一監督(47)が交代を告げた。それでもここまでチームの快進撃を支えてきた投手に、内野スタンドを埋め尽くした3000人近い大応援団から割れんばかりの拍手が送られた。

 旧制松山中として1878年(明11)に創立され、野球部は1892(明25)に創部。屈指の進学校で、野球殿堂入りした俳人・正岡子規の母校で、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台にもなった。決勝会場の松山中央公園野球場に「坊っちゃんスタジアム」の愛称がつくほどの「超」伝統校。1933年(昭8)に夏初出場。松山商と統合して出場した50年には全国制覇も経験したが、52年に松山商と分離してから、2度目の夏甲子園はできずにいた。自身も野球部OBの堀内監督は「決勝までこれた自信を持って一からやり直します」と、亀岡を中心のチームづくりを誓った。