中日和田一浩外野手(42)が2回に左翼線に安打を放ち、史上最年長で通算2000安打を達成した。

 西武入団後もなかなか芽が出ず、和田選手は「このままいけばレギュラーを取れずに野球人生が終わる」と危機感を募らせていた。そこで出会ったのが、打撃コーチ補佐を務めた金森栄治さん(58)だった。

 当時の和田選手は「高めから低めまで、畳一畳分くらい振っていた」というほど癖が強く、首脳陣はさじを投げていた。金森さんは「腕が伸びては力が逃げる。腕相撲と同じ。肘は体に近く」と持論を説き、ティー打撃ではへその前や、時にはさらに捕手寄りに球を置いて打たせた。ミートポイントを近くすることで選球眼を高める狙いもあった。

 窮屈なスイングに苦しみ、最初はほとんど打球が前に飛ばなかった。それでも金森さんは「すぐに効いたらそれは毒薬」と反復練習を徹底。半信半疑だった和田選手も「頭で理解するより先に体を動かした」と、室内練習場の隅で愚直にバットを振った。

 指導を受けて2年目、ぎりぎりまで球を引きつけるフォームが身に付き、逆方向へも伸びのある打球を放てる打棒を武器にレギュラーに定着した。一気に球界屈指の右打者へと成長。「金森さんを信じるしか選択肢がなかった。ずっと同じことをやり続けたのが良かった」と振り返る。

 自身の引退後も指導者として熱心に打撃の勉強を重ねた金森さんは「私が分かったことを最初にやったのが和田」と言う。「最初の1年は何も分からなかったらしい。それでも素直にやってくれたことがすごい」とまな弟子の純粋さをたたえ「悩んでいた頃から、段階を踏んで少しずつ良くなった経験を伝えていってほしい」と目を細めた。