プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月11日付紙面を振り返ります。1991年の1面(東京版)はヤクルト長島一茂内野手の契約更改、表記変更の記事でした。

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 来季5年目のヤクルト長島一茂内野手(25)が、「長島」から「長嶋」への表記変更を球団に申し出、了承された。入団以来初めて契約更改交渉で保留していた同選手は10日、東京・東新橋の球団事務所で2回目の交渉に臨み、前回提示から100万円の上積みを獲得、1200万円でサインした。わずか5分の交渉の「テーマ」は表記変更へのこだわり。父親茂雄氏をほうふつとさせる「長嶋」への改名で心機一転、来季にかける。(金額は推定)

 来季神宮球場の電光掲示板にかつて父茂雄氏が表記していた「長嶋」の2文字が再登場することになった。「戸籍から、実印もすべて、島ではなく嶋なんです。嶋に変えてくれませんか」。この日行われた2回目の更改交渉で長島の球団への要望だった。もちろん球団に異存はない。来季、球場施設をはじめ、球団発行のすべての印刷物でも「嶋」表記への変更を約束された。

 前回(6日)の更改交渉で過去最高の上げ幅、約31%増1100万円の提示を長島は「納得できない」と、プロ入り初めて保留し、この日の2回目の交渉に臨んでいた。「来年から変更が予定される一軍最低保障年俸(1200万円)でいいか?」「ハイッ」。年俸に関する球団との交渉はたったこの一言だけ。前回から100万円上積みの1200万円でサインした。

 「また来年もユニホームを着られて良かった。契約してくれましたからね。金額的にも、(査定、最低年俸の)考え方でも納得できました。いつまでもグズグズやってるよりも早くすっきりしたかったですから」(長島)。

 数字上では過去最高の昇給、約43%増となったが、球界の最低年俸の上昇の恩恵をそのまま受けた形だ。過去4年間で一度も二軍落ちの経験はない。成績とは別に、「長島人気」で来季もフルシーズン一軍帯同は間違いのないところ。球団側にしても、シーズン後に一軍最低年俸の差額を払う分の「先払い」の考えがあることも疑いようがない。

 だが、年俸のアップ幅に浮かれてはいられない状況は、長島自身が一番承知している。「来季もユニホームを着られる」は、土壇場を意識するからこそ口に出る言葉でもあった。「来季はいままでと違う長島を見せたい」。契約保留にも、プロとしての球団の評価へのこだわりがうかがえる。入団の契約時には「島でも嶋でも何でもいい」と言っていた。それが「島」から「嶋」への変更の願いとなったのも心機一転の表現のひとつといえる。

 新外国人ジャック・ハウエル外野手の獲得交渉で渡米中の相馬球団社長も、球団からの電話で長島の交渉での発言を聞き満足げだった。「金銭へのこだわりも、それだけ(野球選手として)大人になった証拠。野球でもこれだけ粘っこくやってくれればいい。期待できる」。100万円の上積みを指示したのは相馬社長でもあった。

 早速、この日から色紙へのサインも「嶋」を使った。「まあ、次から」と言わずにその場での即実践も、今までの長島にはなかった切り替えの早さ?だった。

 ◆嶋と島

 「島」に対して「嶋」「嶌」を異体字と呼ぶ。

 異体字とは、標準文字(この場合は「島」)と同じ意味でありながら、字体の異なる文字をさす。

 新聞表記に関しては読者の読みやすさを優先し、旧字、異体字を避け、標準文字使用を原則としてきた。ただし、個人の名前については、柔軟に対応する形になりつつある。

 1947年(昭22)から球界のメンバー表を作成してきた「ファン手帖社」の表記を見ると、63年までは長島茂雄氏の表記は「嶋」、だが64、65年は「島」となっている。さらに66年以降は「嶋」に戻っている。ファン手帖社の多川卓氏によると、「当時から球団の発表したメンバー表を正確に表示した」という。

 一方、巨人サイドでは同球団広報部調査資料課部長待遇・大原多慶司氏の記憶によると「確か(64、65年当時に)新聞社サイドから、旧漢字を標準漢字に変えたいと申し入れがあった。本人(茂雄氏)に了解を求めたら、“別にかまわない”ということだったので“島”にしました。入団当時は間違いなく“嶋”でしたし、本籍にも“嶋”で書いてある、と長島さんは言ってましたね。66年以降は本人の意向もあり、元に戻したのではないでしょうか」。

 ちなみに長島茂雄氏のサインを見ると「嶋」を使っているのは、入団当時だけで、以後は「島」で統一されているが……。

※記録と表記は当時のもの