ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手が1日、岩手・大船渡高の卒業式に出席した。東日本大震災から間もなく9年。周囲の支えで苦難を越え、最速163キロを誇る“令和の怪物”に成長した。沖縄・石垣島キャンプでのインタビューでは「世代」「巣立ち」への思いを話した18歳。自分の足で未来を開く時が来た。

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校門から校舎へ続く、急な「大高坂」を学ラン姿で上るのも、これで最後だ。夕方5時にザ・ビートルズのイエスタデイのチャイムが響いた後も白球を追っていたグラウンドが、これからは母校に変わる。

佐々木朗 本当に楽しい思い出ばかり。過ごしていてとても心地よかったですし、他の学校じゃできない経験もできて、本当に一緒に野球部で野球して、良かったなと思います。

幼少期から、野球でつながってきた仲間たち。卒業式前日も皆で野球をした。新型コロナウイルスの影響で校歌は歌えなかったが、全員で体育館に集まり、卒業式を迎えられた。「地元から遠く離れて生活を送り始めて、地元の素晴らしさ、ありがたみを感じることができました」。仲間、家族…一緒に過ごしてきた人たちが暮らす港町を「ぼくにとって一番の場所」と言った。

仲間の寄せ書き入りユニホームに泣きそうになりながら、上京して2カ月。ずっと同じ仲間だったからこそ「新しい人たちと触れ合うことが不安というか…」と口にしていた。それも杞憂(きゆう)に終わり、チームにすっかり溶け込んだ。プロ野球選手らしい表情に変わり、大人たちから日々、学んでいる。

佐々木朗 スイッチが入ったときの切り替えがすごくて。高校生は、練習入る時とかもダラダラしてたら、多分そのままになっちゃうんです。でも大人の人たちは、練習になったらスイッチ切り替えて。

18歳の自分たちは、先輩から「時代だな」と言われることがある。

佐々木朗 自分たちの世代はマジメというか。昔の高校生は、もうちょっと大人っぽかったのかなとは思います。

ひと足早く、大人の社会を目撃した2カ月間。何を思うのだろう。

佐々木朗 学校では、年上でも2歳上でした。本当の年上になると「先生」とか立場が変わっちゃうんですけど、ここでは今まで先生だった年齢の人が同じ立ち位置で仕事をしていて、今までとの違いを感じます。しっかりコミュニケーションをとって、一緒に頑張っていかなきゃいけない。それが自分のためになると思いました。

それは21世紀に生まれ、これから未来へ巣立っていく同世代の仲間たちへのメッセージでもある。

どんな大人になりたいのだろう。

佐々木朗 妥協じゃないですけど、これから他の人に合わせることが増えてくると思います。でも、自分の意見や意思をしっかり持って、正しい道に進めるようになりたいです。自分の正しいと思う方向に進みたいなと思っています。

誰かが敷いたレールを歩むことは信条に合わない。佐々木朗希なりの生き方を-。卒業式を「1つの区切り」と、大船渡を「なかなか帰れない場所」と表現した。青春の大高坂を下ったその先から、覚悟の明日が始まる。【金子真仁】