33年前の1987年(昭62)、「ホーナー旋風」が吹き荒れた。ヤクルトに途中入団した現役バリバリのメジャーリーガー、ボブ・ホーナー内野手(当時29)だ。5月5日の阪神戦でデビュー。いきなり来日1号を放つと翌6日の同カードで衝撃の3本塁打を放ったのだ。

翌7日の日刊スポーツは1~4面まで大展開でホーナーの活躍を伝えた。

6日の試合では1回に左翼へライナーで130メートル弾。四球を挟んで5回の第3打席で左中間へ120メートル弾、7回にはバックスクリーンへ飛び込む130メートル弾。しめて3発380メートル弾で日本のプロ野球ファンを驚かせた。

ホーナーの3発を目の当たりにした阪神主砲のバースは「300本打てる」と真顔で話した。当時日刊スポーツ評論家の川上哲治氏(故人)は「過去、日本へ来た外国人選手の中でも、超ド級。掛け値なしのNO・1バッターだろう」と絶賛した。後年、3本塁打を浴びた池田親興投手は「野茂より先に米国で放送された日本の投手ですよ(笑い)。ホーナーなんて知らなかったし、前日、マイク(仲田幸司)さんが右翼際に本塁打されたけど、まあ外角中心で攻めようと。それが左翼、右翼(実際には左中間)、中堅に打ち分けられた。もうわけが分からん。当時、ホーナーは米国で契約がうまくいかずに来日していたので米国でも注目され、その活躍がニュースになった。ボクの姿も映りましたからね」と話した。

7日は阪神投手陣が勝負を避け3四球。移動日を挟んだ9日の広島戦(長崎・佐世保)でも2本塁打を放ちデビューから4戦6発。「ホーナー旋風」で神宮球場は連日満員となり、ヤクルトの観客動員は初めて年間200万人を超えた。

ホーナーはこの年、93試合に出場し31本塁打、73打点、打率3割2分7厘。ヤクルト本社のCMなどにも出演するなどした。しかし1年限りで退団。88年はカージナルスでメジャーに復帰したがわずか3本塁打に終わり現役を引退した。帰国後に語ったという「地球の裏側に、全く別のベースボールがあった」というコメントが印象深い。

◆ボブ・ホーナー 1957年、米カンザス州ジャンクション市生まれ。アリゾナ州立大からドラフト1位でブレーブス入りし、新人王獲得。メジャー9年間で215本塁打を記録。87年ヤクルトに入団。デビュー4試合で6ホーマーを放ち“ホーナー旋風”を起こす。その年シーズン後帰国し88年はカージナルスでプレーしたが引退した。愛称は「赤鬼」。ヤクルト時代の背番号は「50」。