お騒がせ助っ人が電撃引退した。23年前の1997年5月14日、阪神マーク・グリーンウェル外野手が会見を開き、退団と現役引退を表明した。

年俸3億6000万円(推定)の大物助っ人は自打球で右足を骨折。「神のお告げがあった」とあっさりと引退してしまった。鳴り物入りで入団したバリバリの大リーガーもわずか7試合(26打数6安打、本塁打0)の出場で日本を去った。

【復刻記事】

阪神マイク・グリーンウェル外野手(33)の退団、現役引退が14日、決まった。10日の巨人戦(東京ドーム)で右第二中足(甲)骨骨折していた同選手は13日までに「退団・現役引退」を球団に申し入れていた。球団とは、年俸300万ドル(約3億6000万円=推定)の半額の支払いで合意した。阪神は米大リーグ3Aクラスの選手も含め、代わりの新外国人選手獲得に着手する。グリーンウェルはきょう15日、米に帰国する。

50人を超す報道陣の前で、グリーンウェルが自らの決断を口にした。「プロ野球選手には必ず引退の日が訪れる」。右足甲骨折で全治4週間と診断された翌日。緊急会見の目的は、帰国や退団の意思だけでなく、野球界から完全に退くことを報告するものだった。

今回の退団、引退はグリーンウェル側の意向が働いたものだった。右足骨折の検査をした阪大病院(吹田市内)から三好球団社長に連絡を取り、13日に神戸市内で会談。引退の意思を明かすグリーンウェルに三好球団社長は「気持ちをくみたい」。その場で契約解除が大筋合意に達した。阪神があっさり退団を了承した裏には、背、腰の痛みでキャンプを途中リタイア、再来日が遅れたこと、いつそれが再発するか分からないこと、年俸の支払いが半額で済むことなどがある。

日本での出場はわずかに7試合。早過ぎるとも取れる決断には伏線があった。骨折の引き金となる自打球を受けた翌日の11日。「打撲」の診断にもグリーンウェルは「骨が折れているかも」と感じていた。背筋痛で来日が遅れ、チームに合流した直後。「足のケガは“野球を終われ”という神のお告げだと感じた」とその時の心境を告白した。

11日の夜のうちに、米国フロリダ州アルバにある自宅へ電話をかけた。トレーシー夫人に「折れていたら引退する」と告げた。「十分に野球をやった。これからは家族と時間を過ごしたい」。グリーンウェルは引退決意の背景に家庭的な事情もあったことを隠さなかった。

今後に関しては「事業をしているので、当分は忙しい」と話した。自宅に広大な農場を持ち、近くには「グリーンウェル・ファン・パーク」という遊園地を経営。レーシングチームのオーナーでもある。現在既に多忙なビジネスを抱えており、第二の人生にかける踏ん切りも早かった。

<阪神吉田監督は「元気な人を」>

グリーンウェル退団を受け、吉田監督はこの日、甲子園球場で早速、三好球団社長と善後策を協議した。打てる外野手という条件に、吉田監督は「新しい選手は元気な人がいいですなあ」と切実な条件もつけた。会議に同席した一枝ヘッドコーチは「高い確率でボールが当たる選手。ディアー(94年在籍)のように当たれば大きいが、三振も多い選手はごめん」と補足。左右にはこだわらず、シュアな打者の補強が望ましいとした。小林編成部部付部長、三宅課長が近日中に渡米。時期的にメジャー選手獲得は困難なため、3Aクラスの選手を視察する。

◆マイク・グリーンウェル 1962年7月18日、米ケンタッキー州生まれ。85~96年レッドソックスで通算打率3割3厘、130本塁打、726打点。08年にレ軍の球団殿堂入り。97年阪神入団も、出場7試合目に自打球で骨折。引退した。引退後はNASCARレーサーに転身した時期もあった。183センチ、93キロ。右投げ左打ち。

※記録、表記などは当時のもの