仲間の涙を無駄にしなかった。巨人田中豊樹投手(26)が3回から2番手で緊急登板し、2回無失点でプロ初勝利を挙げた。先発メルセデスが左肘のコンディション不良のため、2回で降板。悔しさから、ベンチでは宮本投手チーフコーチとともに目に涙を浮かべた。そんな事態にも中継ぎ陣6人で乗り切り、無失点勝ち。今季育成契約で加入した苦労人が流れを渡さなかった。

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投手陣の思いを背負い、田中豊は3回のマウンドへ上がった。2回のベンチでは左肘のコンディション不良を感じつつ、涙ながらに続投を志願したメルセデスを宮本投手チーフコーチが抱き寄せていた。同コーチは「本人は『いきたい』と。でも彼のことを思うと決断しないと」と目に涙を浮かべて交代に踏み切った。

2人の涙を無駄にしない。7月26日に支配下登録され、重い巨人の「19」を背負った苦労人が、緊急登板した。3回は3者凡退。4回は2死二、三塁のピンチを招いたが、中谷を三直に封じ2回無失点。連続無失点を5試合に伸ばしプロ初勝利を手にした。「与えられた立場で投げることだけ。いつも通り投げられた」と胸を張った。

4年間在籍した日本ハムでは、31試合に登板するも勝ち星はなかった。19年オフに戦力外となり、同年11月のトライアウト前には引退を覚悟した。

佐賀商時代の恩師・森田剛史監督に「もしかしたら引退かもしれないです」と連絡。涙はなくとも、勇気を振り絞って報告した。普段は冗談の多い同監督からは「もう1回やれるだけやってみろ」とゲキを飛ばされた。わらにもすがる思いで臨んだトライアウトで結果を残し、育成で巨人に入団。2軍の守護神として8者連続三振を奪うなどしてアピールして舞台をつかみ取った。

ウイニングボールは両親に送る。出場こそかなわなかったが、甲子園を目指した佐賀商時代、毎日車で片道1時間30分ほどかけて学校まで送ってくれた。「恩返ししたい気持ちがあって。野球選手として活躍できていなかった。これがスタートと思ってやってきたのが、今日につながったかな」。180センチ98キロの体格から「アンパイア」と呼ばれ巨人にもなじんできた。多くの人に支えられ苦労を積み重ねたら、プロ5年目でこんな喜びが待っていた。涙は必要ない。笑顔で新たな野球人生を歩む。【久永壮真】