「江夏の21球」同窓会の実現を! 日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)は29日、オンラインでベースボールミーティングを行い、70年代後半の広島黄金時代を支えた外国人外野手のエイドリアン・ギャレット氏(77)と、名リードオフマンだった高橋慶彦氏(63)がファンに思い出話を語った。

現在、米テキサス州に暮らすギャレット氏は、77~79年広島に在籍。78年には球団外国人初のシーズン40本塁打を放ち、同年に広島で行われたオールスター第1戦で放った3本塁打は、現在も最多タイ記録として残る。79年10月6日にリーグ優勝を決めた阪神戦では、8回ダメ押し2ランを放つなど、山本浩二、衣笠祥雄らと強力打線を形成した。

「広島では本当によくしてもらったよ。家族も街を気に入っていたし、欲しいものは何でも手に入った。チームメートもいい人ばかりで、周りに合わそうと一生懸命にやった」と当時を懐かしんだ。また、好投手ぞろいだった当時のセ・リーグについて「中日の小松(辰雄)の速球にはてこずった。巨人の新浦(寿夫)のナックルにも苦しんだけど、ホームランも打ったよ」と笑った。

チームメートとして戦った高橋氏は「当時のカープはキャンプで2時間半くらいウオーミングアップをやりました。外国人はびっくりしたと思いますよ。僕も小松の速球には参ったなあ」と語った。

ギャレット氏の広島での最後の年となった、79年の日本シリーズ第7戦に話は及んだ。抑えの江夏豊が9回裏無死満塁のピンチを切り抜けたことで知られる「江夏の21球」についてギャレット氏は「江夏は見ていて本当に驚くべき投手だった。そのシーンはよく覚えているよ」と感慨深げ。一方の高橋氏は「打球よ飛んでくるな、とそれだけを祈っていました。打球が来たら、絶対にエラーする自信がありました」と笑いを誘った。

最後にギャレット氏は「できれば(79年の)チャンピオンチームで集まりたいね。ぜひまた日本に行きたい」と日本訪問を熱望。高橋氏も「ギャレットさんが元気なうちに、ぜひアメリカに行ってみたいよ」と再会を望んだ。【高野勲】